国会混乱の中で、歴史に残る“傑物”は果たして生まれるのか
2008年9月12日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
源頼朝、豊臣秀吉、勝海舟……歴史の教科書に載る人物は、時代が生んだとも言えよう。社会が大きく変革するときは、必ず“傑物”が出現するものだ。戦後、とりわけここ3、40年、日本で大物政治家がついぞ生まれなかったのは、何だかんだ言っても、社会が比較的、なぎ状態だったからかもしれない。
しかし、これからは違う。インターネットによる情報革命、地球を覆う新自由主義、資源外交を背景にした新冷戦構造、深刻化する宗教・民族紛争――。もはや世界は、一本の針が落ちた振動で激変するだろう。刻一刻、その瞬間は近づきつつある。だが、残念ながら傑物ではない私には、具体的な像が見えない。
それでも、多少は頭をめぐらせてみる。日本は戦後、冷戦構造の中で米国の属国と化した。極東戦線の浮沈空母として役割を果たす一方、経済的には、米国の庇護のもと世界有数の「大国」に浮上した。極論すれば、独立国家ではなかったのだ。与党政治家も、ワシントンにお伺いを立てさえすれば事足りたのである。
旧冷戦時代はそれでよかったのかもしれない。しかし、地球規模のパラダイム変革が起きつつある時代、米国におんぶにだっこですむはずがない。このままいけば、「使い捨て」になるか、世界から見放されるか、いずれかの道を歩むことになるだろう。確固とした根っこがない限り、ハリケーンの中で生き延びることはできないからだ。
独立した暁には、どうするのか。憲法9条と経済大国を生かした仲裁外交国家になるか、北欧のような社会福祉国家を目指すか、模索する道はさまざまにある。いまこそ「政治」の出番なのである。
では、だれに期待したらいいのか、いらいらすることに、それが見えない。大変動の中で日本はどんな国になるべきか、説得力のある絵図を描いた政治家が見あたらないからだ。自民党の壊滅が避けられないことは、永田町も霞ヶ関も財界も実感しているだろう。といって、政権交代でバラ色の未来が約束されることもない。与野党を含め「この人なら託せる」という傑物がいない。
何しろ、地軸がひっくり返る時代。政界再編レベルの話ではない。10年後の将来を見据えなければ、日本は沈没するかもしれないのだ。果たして、国会議員の何人がそれを理解し、覚悟しているのだろうか。(北村肇)