先週、編集委員の中島岳志さんと批評家の大澤信亮さんが対談をした。
2011年2月18日9:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
先週、編集委員の中島岳志さんと批評家の大澤信亮さんが対談をした。秋葉原事件を「言葉」の視点から考察した。内容は三月掲載予定である。
その際、大澤さんが「命をかけて」表現していると話し、身につまされた。自分は最近命をかけているのかと問われた。腹はとっくにくくっている。しかし、命をかけてとは口ごもる。自分で命をかけてもいいと納得できる対象が存在し、自覚的に向き合い、真摯に本気で取り組んでいるからこそ吐き出せる。
思えば、なかなかスイッチが入らない性分で、それこそ本気を求めて大学ボクシングをやっていたときもスパーリングには気乗りがしなかった。中途半端に殴り合うからだ。この競技の本気は殺る気。だから交流スパーで、体育会の首をとりにきた同好会の本気に前歯を折られ手ひどい目にあった。試合のため減量をして準備して、リングに上がってはじめて殺気もなき集中の境地にいられた。それから十何年。矢吹丈も宮本武蔵もいない現代社会で自分の本気に向かい合う。 (平井康嗣)