グローバリゼーションの正体は、支配者と被支配者の二重構造
2008年4月25日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
人間は例外なく「善」と「悪」を備え持つ。だから私利私欲に走ることもあるが、惻隠の情に突き動かされることもある。人間という存在は、分裂と矛盾そのものだ。歴史をみても、20世紀は第二次世界大戦の惨禍を経験し、理性とか啓蒙とかが、幾ばくかは重視された。だが21世紀はそれらが後景に追いやられ、かわって「欲」が支配する。
利益、とりわけ金銭的利益のためなら、他人を押しのけようが踏みつけようが、何をしてもいい。この風潮は地球を覆い、陰惨な風景がここかしこで展開される。いわゆる「先進国」が、「発展途上国」と名付けられた国々を搾取する構造は今に始まったことではない。露骨に表面化してきたのは、「先進国」の中で急速に進む格差社会と、「先進国」に本社を持つ大企業などの勝ち組クラブが、国境を越えて利益収奪に走る構図だ。
しかも、インターネット時代では、情報を握った者が「力」を握る。そして、情報を得る手段を質量ともに持っているのは権力者(企業も含め)だ。つまりは、いったん権力者の座につけば、際限なくその力が肥大していくことになる。
今世紀初めは、金融のグローバル化により、一部企業、とりわけファンド会社に利益が集中した。世界の金融市場で博打を張り、大もうけしたようなものだ。具体的な数字は判明しないが、日本の利益=私たちの税金もかなりもっていかれたに違いない。
このようなマネーゲームは早晩、破綻するとの見方はある。サブプライムローン問題が、その一つのきっかけになることも考えられる。だが、気がつけば、今度は「食糧」利権を握る企業に利益がなだれ込んでいる。
本誌今週号では「日本が食糧を買えなくなる日」と題した特集を組んだ。自給率が4割を切る日本は、食べ物を海外に求めるしかない。しかし、世界のどこに行っても、すでに一部の企業が独占しているという状況が生まれている。大豆も小麦も乳製品も……。単なる天候不順により、スーパーからバターが消えているわけではないのだ。
富めることによる支配者と、貧しいことによる非支配者。この二極化こそ、グローバリゼーションの正体である。それはまた、私たちの生きる糧さえもが、少数の支配者に握られることを意味する。もし、人間の中の「悪」が栄える時代が続くなら、新しい封建主義時代に突入することもありうる。では日本は、私たちはどうしたらいいのか。考えるための特集をこれからも展開したい。(北村肇)