自由にものが言えない社会で、しっかり意思表示した中学生に学ぶ
2008年4月18日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
早朝の住宅街で耳をすますと、行き交う車の音や、軽く踏まれた自転車のブレーキ音だけではなく、雀の会話などもかすかだが届いてくる。もう少し自分を解放できれば、百メートル先の公園に立つ木々の葉の擦れ合う音だって楽しめるかもしれない。目や耳の衰えは、加齢の問題というより私の「心」のサビに原因がある。
東京都の調査によると、「イライラやストレスを感じる」都民は七割にのぼる。特に30代は、女性が91%、男性が82%の高率だ。このことは、仕事や人間関係でストレスにさらされている実態とともに、それを癒すことができない現実も示している。何もかも脱ぎ捨て、安心して心を解放できる場がないのだろう。
そもそも、「日の丸・君が代」に中学生が不起立したことに対し、一部新聞が批判記事を書き抗議行動をあおるような社会だ。本誌今週号で特集したが、大阪・門真市立第3中学の卒業式(3月13日)で、出席した160人の生徒が一人を除き、「君が代」斉唱の際、一斉に着席した。教員は3年生の担任5人と副担任6人のうち8人が着席した。このことに産経新聞がかみついたのだ。
同月27日朝刊社会面トップ(関西版)で、「国歌斉唱 起立一人」と報じ、大阪市教委の「偏向教育ととられても仕方ない」とのコメントを載せた。記事が出た後、市役所に政治団体の街宣車が押しかけたり、3中への嫌がらせ電話が相次いだという。憲法も知らない新聞記者がいることにもあきれるが、それを大々的に報じる新聞社にジャーナリズムの資格はない。「思想・良心の自由」を踏みにじる行為をいかに考えるのか。「報道の自由」とでも強弁するつもりなのか。
当該記者は市会議員の「取材」に対し、「国歌を歌うかどうか自分で判断しなさい、と言うのは生徒への指導だ。起立すべきでないという考え方を強制している」「公務員は政府の指示に従うのが当然で、それが嫌なら教師を辞めるべきだ」と答えたという。ここまでくると、開いた口がふさがらない。
映画『靖国』問題では、こともあろうに、国会議員が映画出演者に直接、電話をかける事態が生じた。自由にものが言えない社会では、「だれ一人信じられない」というストレスが心を圧迫する。でも、現に素敵な中学生たちがいるのだ。大人が心を老け込ましている場合ではない。 (北村肇)