西山太吉・元『毎日新聞』記者が、沈黙を破って初めて登場したのは『週刊金曜日』だった。
2013年11月8日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
西山太吉・元『毎日新聞』記者が一九七一年に起きた「外務省機密漏洩事件」後、沈黙を破って初めて登場したのは二〇〇〇年一一月二四日号の『週刊金曜日』だった。本多勝一編集委員のインタビュー記事である。福岡県内の取材先ホテルに私も同行した。そのとき西山さんは本多さんだから取材を受けたと語り、私は興奮を覚えつつ歴史的事件の当事者にレンズを向けシャッターを切った。その記事で本多さんが引用した澤地久枝さんの『密約』(中公文庫)の一文を孫引きしたい。
「『国家秘密』を取材した新聞記者が罪に問われる法律があるなら、国会と主権者に対し欺瞞と背任を行なった政治家を告発する法律があってもよさそうなものである。しかし、『国民の知る権利』という正統的で受け身な主張はなされたが、主権者の側からの法律上の告発はなかった」
同じ事を繰り返していいのか。また米国は三〇年後に「密約」を公開したこと、「密約」の当事者・佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞したことを忘れてはいけない。 (平井康嗣)