言葉をあきらめてはいけない
2014年8月1日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
言葉の分相応とは、なんだろうか。もともと私たちは表現したいことを、自分の解釈で言葉に当てはめているだけだ。その成功も失敗もある。伝えたいことが完全に伝わらないのは当然だ。
だから一方、芸術や行動で人の想いは伝えうる。むしろ言葉よりも伝わることがある。古代、ソクラテスは書き言葉を残さなかったそうだ。書物は誤読や解釈集団を生むからであり、一方的に言葉を押しつける演説や、そのコンサルをしていたソフィストたちを嫌ったともいう。
だからといって言葉をあきらめてはいけない。弟子のプラトンはそれでもソクラテスの言葉を残した。私も言葉の力を信じる気持ちがなければ雑誌や本などつくれない。言葉には限界はあるが、やれることはいくらでもある。
政治家は言葉を押しつける職業の最たるものだ。かつては、本気で言葉で闘おうとしていた政治家がもう少しいた気がする。しかし、権力を手にした安倍首相などは、ただの義務や手続きのように話し、軽々しく意味をすり替えているように見える。(平井康嗣)