編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

初春の願いは、心を躍らせ年賀状を書ける社会の到来

 私的な年賀状は原則として出さない。生来のなまけものに加え、何よりも「明けましておめでとう」という文言を書く気になれない。年が改まれば、世の中は明るくなり未来が希望に輝く。そんなハリボテにすぎない夢は、抱いたところで気が重くなるだけ。だから、仕事上の賀状にも「迎春」と書くようにしている。などなど、ひねくれ者の繰り言をブツブツと唱えているうちに、1月もはや下旬。はてさて「正月」はいつ来て、いつ去ったのだろうか。


 
 三が日、街中で晴れ着姿の人に出会うことはほとんどなかった。年の瀬かと思わせるほど、年齢に関係なく黒っぽい服装の男女ばかり。晴れやかな雰囲気は、まったくといっていいほど感じられなかった。ここ数年の傾向ではあるが、特に今年は際だっていた。

 鏡開きの10日、ある会合で同席した先輩ジャーナリストの一言。「実感以上に、嫌な社会になったねえ」。さすがは言葉を大事にしてきたベテラン記者、「実感以上に」という表現がしっかりと社会の本質をついている。
 
 盛装の人を見かけないことで「未来に明るさを感じない時代」を実感するが、現実はそんなものではないということだろう。「未来」や「夢」に取って代わったのが「絶望」。しかもそれは、「努力だけではどうにもならない」社会がもたらしたものである。資本主義の行き着くところは、「カネが支配する奴隷社会」。いったん、かような社会が構築されてしまうと、奴隷はどんなにあがこうと奴隷から抜け出せない。

 正月特有の華やかさが影を潜める一方で、マスク姿はそこかしこに。私もセキとだるさでダウンした。人間の体力が衰えるほど、ウィルスは活性化し蔓延する。今や、冬に限らず、一年中、風邪引きが身の回りにいる。環境の悪化もあり、人間の基礎体力が弱った証拠だ。
 
 本誌今週号で取り上げた、世界を震撼させるサブプライムローンはウィルスに擬せられる。巧みにデリバティブ商品に盛り込まれ、ある瞬間、一気に爆発して金融危機をもたらすからだ。
 
 ただ、私は、そうしたとらえ方とは別に、拝金主義に陥った人間の脆弱な魂をもてあそぶ厄介者の一つとみている。さまざまなウィルスを駆除し、「カネより命」の社会を実現したうえで、「新時代を寿ぐ」と賀状に書く。これぞ初春の夢。(北村肇)