鶴見俊輔の「埴谷雄高の政治観」という一文について考えている。
2014年11月7日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
故・久野収編集委員と同時代を生きた作家・埴谷雄高に関する評論集を読み、鶴見俊輔の「埴谷雄高の政治観」という一文について考えている。
鶴見によれば、埴谷の政治について「書かれたものの上では、ハッピー・エンドへの期待に身を委ねたことがない」と分析し、「ハッピー・エンドへの期待が、どれほどわれわれにとって根深いものかがうかがわれる」と理解する。これは政治に限らないだろう。
世界は常に過程にあるが、一抹のハッピー・エンドで調和させることがほぼ大前提だ。ハッピー・エンド資本主義、ハッピー・エンド科学と技術。あらゆる場面でハッピー・エンドをつくるために人は日夜仕事に励む。そうでなければ生きている意味などないらしい。大変だ。しかしその結果、戦争や差別も前向きに求めてしまう。埴谷は、「未来」から現在を見、思想の下の下を掘りおこし、論理ではなく文学でそれを表現しようとした。私もハッピー・エンドにもバッド・エンドにもとらわれず、小誌を通じて考え続けていきたい。 (平井康嗣)