今週号は斎藤環さん責任編集、若者たちの新・宿命論である。
2015年1月16日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
今週号は斎藤環さん責任編集、若者たちの新・宿命論である。「宿命」と主観的にとらえた途端、あきらめ、思い込み、思考の停止状態になる。人並み以上の努力ができることは努力する才能だからと思い込むことに功と罪がある。私などはヤンキー的(©斎藤環)気合い派も多分にあるらしく、学生ボクシング時代も「1発殴られたら10発殴り返せ。そうすりゃ勝てる」とリングサイドで檄を飛ばした口である。
しかし最近は、筋の違う主観主義の蔓延を感じる。特集で内藤朝雄さんが現在の市民状態は「奇跡のように生じた」と指摘をしている。ピケティが世界大戦後、資本主義の暴走に抑制が利いていたことこそが資本主義の例外期だと指摘したことと通じる。膨大な死者を生んだ戦争は集団主義や権力偏在も一部リセットし、「希望」をぶらさげた。だからといって戦争を望むことは愚かすぎる。次に起きる戦争(的なもの)は息苦しさを完全な日常へと完熟させるだろう。その兆しは十分滲んでいる。一発逆転も奇跡もない中、何を考える。(平井康嗣)