2015年2月13日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
この国ではかつて宗教者が迫害された過去はあるが、現代では「イスラム国」に対する怒りがイスラム教へと飛び火することを懸念されている。
「シャルリー」以降、イスラムと表現の自由があたかも対立するかのように描かれがちだが、近代の自由主義という概念は16世紀の宗教戦争への反動で生まれた。「長期にわたってヨーロッパを混乱に陥れた宗教的狂信主義に対する嫌悪を動機として、自由主義が提唱された」(『生きるための経済学』)と安冨歩はマイケル・ポラニーの考えを紹介する。自由主義は誰にでも自分の信念を表明させる反権威主義と、自分の考えを押し付けるほど真理に確信が持てないという哲学的懐疑の二重構造を持っているという。それゆえ宗教を選択する自由、寛容が生まれた。
しかしニヒリストのように思考の自由が行き過ぎると、自分で信じるものも疑い、倫理を軽蔑し、倫理と暴力を同価値にひきずり下ろす行動に出る。これはソクラテスを誤読した模倣者たちと同じだ。日本でも誤読する者が増えている。 (平井康嗣)