日本に住む私たちのコミュニケーションは貧相になるばかり
2015年6月5日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|平井 康嗣
編集長後記
海外のことはつまびらかではないが、日本に住む私たちのコミュニケーションは貧相になるばかりとつくづく感じる。私は1997年に小誌編集部に入り、ほどなく「悪法研究」という連載を始めた。執筆は7人の弁護士の方々に御願いした。企画意図は無駄且つ有害な法律や条文がある事態を可視化することだった。
私たちは国会が開かれるたびに大量に生まれる「法」に縛られ続けてきた。法に縛られるということは、社会との関係だけでなく、人と人との関係も法によって縛られることだ。法律をつくれば人権が守られ合理的になるという思い込みはつまり立法イデオロギーである。コミュニケーションが貧弱で横着な社会ほどルールに依存し、対話より立法と解釈に時間が奪われるようだ。
法は言葉で成り立つ。言葉は不完全であり、余白を持つことは自明だが、しかしそれも言葉で埋めようと延々と終わりのない論争はつづく。学校教科書もそうだ。言葉だけでは人間関係も歴史も倫理も学べないことをまず自覚すべきだろう。 (平井康嗣)