日本会議の底流とは
2016年6月17日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|admin
小社で近々、『日本会議と神社本庁』を出版するが、そこで再確認したことは日本会議の底流が左翼(学生運動)という主流に対する反動・反発であるということだ。
この理解は小誌5月27日号の日本会議特集の本欄でも書いたが、この50年近く前の敗北と怨念の根深さについてもっと分析がなされなければならない。右派の市民運動家と“保守”政治家は似ているが、違うものであること。戦後の自民党一党支配への反動でもあるリベラル論壇の主流化の意味。
つまり政治は自称保守がメインストリームで、メディアはリベラルやノンポリが主流だった。いずれにせよ安倍的自民党や右派市民運動家からすれば戦後の論壇を築いてきた主流メディア自体が一貫して敵だったのだろう。
“言論統制”も政治的攻撃の一つだから、勝つまで終わらない。ゆえに朝日新聞社が二つの吉田証言問題で謝罪した一点をもって、事実も吟味せずに勝利だと歓喜する。さらに深刻なのはその執念を攻撃されている側は、今も暢気に受け止めていることだ。