會則道先生
2016年12月9日7:00AM|カテゴリー:編集長後記|小林 和子
その音楽家が最初に夢中になったのはマンドリンだった。その後バイオリンに転向して交響楽団に入団。戦前のことだ。生涯でもっとも忘れがたい曲は、「東郷平八郎元帥を送る時に演奏されたべートーベンの『英雄』」。
戦争には行かなかった。「戦時中は軍の慰問に明け暮れた。戦後はその慰問先がGHQに変わっただけ」という。
戦争末期はその耳の良さを買われ、近づいてくる戦闘機を、固有のエンジン音で敵機かどうか聞き分け、どの方角からやってくるかも勘案し、防空壕に避難すべきどうかの判断を求められたという。
一番の思い出は、敗戦後、世界一周演奏旅行に加わったこと。夜ごと見知らぬ場所で、見知らぬ観客からたくさんの拍手を貰ったことは何よりの誇りだ。晩年は子どもたちの指導に携わったが、どんなにひどい音をだしても苦笑するだけだった。戦闘機のエンジン音よりはましだろうと今は思う。逝去されて8年。お世話になった會則道先生の戦争と平和をめぐる話は、いまも私の胸に残る。