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振り子は「安倍型教育」から「民主教育」に振れつつある

「ある瞬間」、「何かをきっかけに」「悪人が善人に変身する」。ドラマや小説では、よく見かける筋立てだ。「安倍政権が崩壊した瞬間」「11万人が参加した沖縄の島ぐるみ大集会をきっかけに」「『安倍型国家主義教育』が『民主教育』に変身する」。こんなストーリーが、果たして現実化するだろうか。

 まだ確信はもてないが、微妙に風は変化している気がする。もちろん、沖縄の怒りを無条件に文部科学省が受け入れることはないだろう。そもそも、「戦争の罪悪」を教科書から消そうとした元凶は、伊吹文明氏や町村信孝氏ら右派政治家だ。彼らがおいそれと信条を変えるとはとても思えない。それでもなお、変化の兆しはある。

 先日、知り合いから「右派系の雑誌や書籍が、かつてほど売れなくなった」と聞いた。確かに、約10年、政界だけではなく出版界をも席巻した「自虐史観排斥」派が、勢いを失いつつある。

「つくる会」教科書が登場したころ、正直、それほどの危機感はなかった。きな臭くはあったが、ここまでマンガのような教科書が、社会に受け入れられるはずはないと思ったからだ。それが甘い見通しだと痛感するのに、時間はかからなかった。

「嫌韓」「反中国」の書籍が大型書店に爆弾積みされ、雑誌が軒並み不調の中で、右派系雑誌は堅調な動きを見せる。ネット上では、「愛国」「東京裁判批判」「アジア蔑視」の視点で書き殴られたブログが横行する。

 政界では、靖国参拝を強行し、アジア各国の批判に耳を貸そうともしなかった小泉純一郎元首相が、高い支持率を維持し、強引な解散による総選挙で圧勝した。その勢いのまま、首相は安倍晋三氏に引き継がれ、あれよあれよという間に、ついには教育基本法の改悪まで突き進んでしまった。

 だが、やはり振り子は揺れる。安倍政権誕生をピークに、熱病のような「右派ブーム」は下火となり、今は祭りの後といった風情だ。しかし、間違っても、ほっとしてはいけない。何もしなければ風はすぐに止んでしまう。
 
 振り子がこちらに振れたなら、今度は錨をつけ、二度と向こうに行かないようにすればいい。主権者の意識こそが、「民主教育」への変身を劇的にもたらす。(北村肇)