参院選の争点から「憲法」が抜け落ちる悲喜劇
2007年6月22日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
悲劇はときに喜劇と化す。死に瀕した病人が、膝をすりむいたと大騒ぎをすれば、周りの者に複雑な乾いた笑いをもたらす。その情景がドラマ化された場合、観客の私はさらに皮肉な笑いを浮かべ、生きることの悲しさを一粒一粒、味わっては飲み下す。いつだって私も病人であり、傍観者であり観客だから。
近づく参議院選挙。一番の焦点は「年金問題」というのが、永田町の常識。新聞、テレビもその線で報道態勢をとっている。国が「振り込め詐欺」を働いたようなものだから、市民の怒りは当然だ。与党の責任は問われてしかるべきだろう。しかし、「一番」が年金問題でいいのか。ちょっと待って!と言いたい。
自民党改憲案を読むと、安倍首相が目指す「美しい国」は、「戦後日本」とはまるで違う国とわかる。何しろ、「平和主義」をかなぐりすて、「個人の人権」より「国家」が上位と強調する。現憲法前文には、主権在民などを謳ったあと、次のように記されている。
「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」
主権在「国」を目指す憲法改定案は、明らかに「これに反する憲法」であり、自民党は違憲の案を堂々と披瀝しているのである。
解散のない参議院は、議員に6年の任期を約束する。今国会で強行採決された国民投票法に従えば、最速、3年後には改憲案の発議がされる可能性がある。つまりこの参院選で選ばれた議員には、「改憲」という大事業が託されることが考えられるのだ。
本誌は候補予定者全員のウェブを調査してみた。「憲法」に対し、どのような姿勢をもっているか調べるためだ。結果は今週号に掲載したが、残念ながら、そもそも関心が低いとしか言いようがない。「改憲」「護憲」以前に、ほとんど公約に取り上げられていないのである。
この間、話をした何人かの永田町関係者は異口同音に分析していた。「憲法は票につながらない。なんといっても年金だ。有権者の関心は目の前の生活にしかない」。
憲法が参院選の争点から外れるのは、喜劇というには悲しすぎる。 (北村肇)