お上にたてつくのは、どうしたって少数者。でも、とにかく「やるっきゃない」。
2004年7月23日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
気がつくと眉間に皺が寄っている。日差しのせいかと思ったが、どうも違うようだ。そういえば、ささいなことでイライラするようになった。いよいよ男性更年期かと考えたが、そう断定するには根拠が薄弱でもある。
知人の言葉が頭に浮かんだ。「最近、孤立感があるんだよね」。といって、それは身の回りの人間との関係ではない。大衆からの疎外感だ。ひょっとして自分も同じような“病い”に陥っているのかもしれない。
ジャーナリズムの世界に長らく身を置き、権力批判はあらゆる細胞に宿っている。「お上にたてつく」人間は決して多数派にはなりえず、それなりの覚悟もしている。とはいえ、「世間の常識」はある程度わかっているつもりだし、さほど乖離していると思わずに来た。だが、ときにその自信が揺らぐ。
参院選で小泉自民党は敗北した。それでも「総理の座を去れ」という声はあまり高まらない。大衆の小泉離れは確かにしても、そこまでの切迫感はなかったということか。結局、なんだかんだ言っても、真の意味での「変革」は望まないということか。意外だ。
平和集会などで、参加者が“不当”逮捕される例が増えてきた。ビラまきだけで長期間勾留される事件も相次いだ。だが大衆の感度は鈍い。怒りに立ち上がるのは、ごく少数だ。
ふと妄想に襲われる。「こんな国に住んでいたくない!」と、居酒屋で生ビールを飲みながらおだをまいていたら、突然、客と店員みんなが、ものすごい形相でにらみつけてきた。「話せばわかる」と犬養首相のようなことを言ったところで、聞く耳を持たない。「非国民!」「お前みたいなヤツがいるから日本はだめになるんだ!」。口々に叫んでは、じりじりと押し寄せてくるーー。
別に卑屈になっているわけではない。もちろん、この際、長いものに巻かれてみようなど、微塵も考えていない。ただ、「少数者」の悲哀や憤りが、やりきれなさとともにこみ上げてくるのはどうしようもない。
「でも」と続いた知人の言葉。「やるっきゃないよ」。目的語はなかったが、私も「そうだよな」と肯いた。ほんの少し、眉間に皺を寄せて。(北村肇)