みんなで「戦争はいかに愚かで悲惨か」の語り部になろう
2004年8月6日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
弁当には決まって、缶詰一個と白飯だけを持ってくる親友がいた。ときどき、缶のふたが錆で赤茶けている。両親は廃品回収業をしていた。
給食のない中学校が多かった60年代初め。弁当時になると校庭に遊びにいく生徒が数人はいた。例外なく戦争の間接的被害者だった。東京の下町には、まだまだ焼け出され組がひしめいていたのだ。
親類が集まり酒を飲み出すと、いつしか「戦火を逃げまどった」話になる。「川が死体で埋まった」あたりで、聞き耳を立てていた子どもは気分が悪くなる。
「だんだん慣れてしまい、焼けただれた遺体を見てもなんともなくなった」「死んだ女性の指から指輪を抜いていた人がいる」。同じ話題が何度も繰り返されるが、こちらはちっとも慣れることができない。むしろ、しだいにイメージが鮮明になる。うなされて目覚めたことも、一度や二度ではない。
学校では、「なぜ戦争は起きたのか」「日の丸や君が代はどうして問題か」「アジアの人たちにどんなひどいことをしたか」、先生がていねいに教えてくれた。
どこにも戦争の語り部はいたのだ。
が、体験者は減り、今や国は「自虐史観を排せ」という連中を後押しする。教科書から「戦争の歴史」は消え、一方で自衛隊は肥大化する。大手メディアは、アフガンでもイラクでも、「空爆で10人が死んだ」など、無機質な報道を続けるばかりだ。
耳学問でもいい、受け売りでもいい、みんなで「戦争はいかに愚かで悲惨か」の語り部になろう。(北村肇)