沖縄の怒りを、できる限り共有したい。怒りは伝播する。大地を揺すりながら、大きな連帯のうねりとなる。
2004年9月3日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
沖縄の海に触れたことがない。十回くらい足を運んだが、ほとんどの時間を基地巡りに費やした。労働組合の集会参加が大半なので、当然と言えば当然である。とはいえ、まったく時間がなかったわけでもない。そうした気分になれなかっただけだ。
そのくせ東京に戻ると、米軍基地がガン細胞のように浸食する異様な光景も、しだいに記憶から薄れることを告白しなければならない。
恐らくは、そうしたことに耐えきれず、沖縄に居を移した人々もいる。だが私にはそこまでの決断はできない。であるなら、せめて可能な限り、怒りを共有することから始めたい。
住宅地にある大学構内に軍用機を墜落させながら、いまだに反省どころか、原因すらも明らかにしようとしない米軍。主権をあからさまに侵されているのに、満足に文句もつけられない政府。まったく当事者意識が感じられない小泉首相。許せない。許しておくべきではない。
先の戦争で地上戦に巻き込まれ、多くの住民が命を落とした沖縄。戦後も天皇制維持の“取引材料”にされ、米軍基地としていいように使われてきた沖縄。米軍のたびかさなる事件と事故にさいなまれてきた沖縄。
1995年、3人の米兵による少女暴行事件をきっかけに、基地の縮小・撤去、日米地位協定の見直しを求める運動が全国的に盛り上がった。こうした動きに押される形で、日米両政府はついに、普天間基地返還に合意。だが米国は「民衆の要求に譲歩すると見せかけて、高度な軍事機能を持つ新しい基地を手に入れようとした」(新崎盛暉・沖縄大学教授)。またしても、沖縄は国家的な詐欺被害にあったのだ。
このような地に暮らす人たちと、同質の怒りを持つことはできない。それでもいいと思う。
怒りは伝播する。大地を揺すりながら、大きな連帯のうねりとなる。私たちがすべきは、いや私がすべきは、まず自らの内に自らの、とめどない怒りを呼び覚ますことだ。(北村肇)