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精神病院をぶっこわした国 イタリアに学ぶ

 大地、天空、風、川……すべてに「私という存在」はつながっている。そう強く実感する瞬間がある。この世界は、見事なまでに美しい統合体なのだろう。そしてまた、仮に人間が一つの宇宙なら、「私という存在」も統合体であるはずだ。細胞という細胞はつながり、無数の精神的資質も分裂することはない。

 ジキルとハイドどころか、私の中には、数えたら気分が悪くなるほどの「私」がいる。世の中の無意味な定義に照らし合わせたら、「精神的病い」とレッテルを張られそうな「私」も含まれる。だが、「彼ら」は断裂することなく、一つながりとなって存在している。

 このことに気づいたとき、なぜ、物心のついたころから、「差別だけは許せない」と、頑なに思い続けてきたのかが見えた。民族の「違い」、健常者と障がい者の「違い」など、端からありえないのだ。「自分とは違うから排除する」という発想は、宇宙の摂理に反する。それこそが非人間的所業なのである。
 
 生半可な知識のない年少児だけに、かえって直感的に、「差別はいけないことなのだ」と深いところで染みついたのかもしれない。
 
 本誌は今週号から、ルポ「精神病院をぶっこわした国 イタリア」を掲載する。筆者の大熊一夫さんは、『朝日新聞』記者時代、精神病院に患者として潜入、ルポを書くという離れ業を演じたジャーナリストだ。
 
 イタリアが壮大な”実験”に踏み切ったのは知っていた。だが、経緯や結果は、今回、大熊さんに聞くまでわからなかった。詳細は記事を読んでいただければと思うが、驚くようなことばかりだ。同国の学校では、各クラスに、必ず障がいのある子を入れなくてはならない、と聞いたことがある。こちらの”実験”も、いわゆる「健常者」の子どもたちにいい影響を与えるという成果が出ているらしい。
 
 まさに、イタリアは国家として「人間性」を取り戻しつつあるのだ。その結果に、欧米各国も注目していると言われる。
 
 さて日本はどうか。知的障がいとされた子どもを学校現場が拒否する、アスペルガー症候群であるだけで、罪を犯す危険があるかのような報道が平然とまかり通る。ますます隔離と排除に向かう日本は、いずれ、世界の”のけ者”になるだろう。 (北村肇)