変わらぬ黄金週間、変わるニッポン
2007年5月11日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
いつも通りのゴールデンウイークだった。観光地に行くことはないが、都心の街中はどこも人、人、人で、歩くだけで呼吸困難になってくる。テレビやラジオのニュースは、帰省ラッシュの見通し、様子を十年一日のごとくに流す。天気予報士は、雨模様の日には、まるで自分の責任のように声を落とす。
国会議員はせっせと「外遊」に出かける。安倍首相は、日米首脳会談を終えると、中東に飛んだ。ブッシュ大統領との会談は散々だった。成果もサプライズもまったくなかった。日米の親密な関係を強調したかったのだろうが、会見で「ジョージ」を連呼する姿が痛々しいほどだった。
一方、甘利経済産業相は、原子力関連企業の社長ら官民約150人の大使節団でカザフスタンを訪問した。結果として、「争奪戦の過熱で価格も急騰しているウランの安定確保に道筋をつけた」そうだ。
大型連休中の、視察を名目にしたお遊びか、でなければ、外交得点を稼ごうという国会議員のパフォーマンス。こちらもまったく代わり映えしない。
しかし、日本は確実に変動している。「それを言っちゃあおしめえよ」という雰囲気のあった9条改憲、集団的自衛権の行使すら、あっという間に実現しそうだ。国民投票法案は5月中に成立する状況である。
日本は、「平和」に毎日、水や光を注ぎ、育て、大きくなったら世界にプレゼントすることを誓った国だ。いつから、「明日にでも戦争のできる」国に変身する気になったのか。少なくとも、大多数の市民・国民にそんな意識はないだろう。
五月晴れの空をあおぐと、いやに「漫画喫茶」や「ネットカフェ」の看板が目につく。テレフォンクラブが商売替えしていたケースも多い。「一泊○○円」と大書してある。「簡易宿」化していたことに改めて気づく。「格差」なんて生やさしいものではない。生死の境目を浮遊する若者が増えたのは否定しようがなく、日本は確かに「意志とは無関係に落ち込まざるをえない」人々を生む国になっているのだ。
「いつも通り」にかまけてはいけない。「日常」の背後にうごめく別の「日常」に目をこらそう。とりあえず、異常気象ならぬ異常国会を注視。(北村肇)