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「従軍慰安婦問題」に見る「重箱の隅」作戦の悪辣さ

「広辞苑」を引くのが億劫になってきた。小さい字が見にくいからだ。視力が衰えているのだろう。パソコンの弊害か。それだけでもない。遠くに目をやることが少なくなった。星も、晴れたときに時折、見える山並みも……。だめだだめだと思いつつ、ますますあくせくしている。精神的視野狭窄と名付けてみた。

 こんなことでは、近視眼的見方を誘う「敵」の土俵に乗ってしまう。重箱の隅をつついて本質を隠蔽する。よくある手口だが、意外に功を奏することが多い。

 本誌キャンペーンを「誤報」と訴えてきた武富士は、四隅を楊枝でつついてきた。それにも対応しつつ、「言論の自由」を全面に出して戦った。結果は私たちの圧勝だったが、裁判所が視野狭窄だったらどうなったかわからない。記事の公益性や公共性より、表現の細部に「完璧な真実性」を求められたら、こちらは不利になる。取材対象者との信頼関係などから、あえて書かなかったり、ぼかしたりすることもあるからだ。
 
 さて、「従軍慰安婦」問題。こちらは、安倍首相らが、「従軍慰安婦」問題を「強制」のあるなしに矮小化しようと目論む。「日本軍による慰安婦拉致の命令書がないから、日本軍の関与がなかった」との詭弁。霍見芳浩・ニューヨーク州立大学教授は「殺人者が兇器を捨てておいて、『兇器が見つからないから、殺人はしていない』と開き直り、多くの目撃者証言や物的証拠を『ねつ造だ』と強弁するのと変わらない」と断罪している(本誌今週号)。
 
「南京大虐殺」問題でもそうだった。人権を根底から損なう「戦争の犯罪」を隠蔽する。それを文部科学省の官僚らが後押しする。まさに定番だ。
 
 米国下院では「帝国日本の植民地及び占領地での日本軍による現地女性の性奴隷化という非人間的犯罪を認めて、首相声明並びに国会決議で謝罪すべし」との対日非難決議が審議されている。安倍首相の訪米がすんだ後、決議は採択の見通しという。本来、内容はともあれ他国への非難決議は内政干渉である。「自国のことは自国で処理する」と告げ、日本政府がきちんと謝罪するのが筋だ。
 
 ところが安倍首相は、米国には「謝罪している」と弁解しつつ、国内では依然として「重箱の隅」作戦を続け、侵略戦争の本質を市民の目や耳から遠ざけようと腐心している。相手が楊枝なら、われわれは、悪辣な企みもすべてお見通しの、広角レンズをもって対抗しよう。(北村肇)