新聞社でも警察でも、自らが所属する腐った組織を敵に回す「正義の味方」。それはカッコイイ。
2004年10月22日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
「他を監視し批判することが職業の新聞人の倫理は、社会の最高水準でなければならない」。新聞社・通信社の労働組合でつくる新聞労連が宣言した「新聞人の良心宣言」(1997年)の一節だ。委員長として宣言つくりに関わったが、何度読んでも「最高水準」という表現に鳥肌が立つ。
当時、労連内で半年以上も議論をした。冒頭の部分に関しては、「かえって権威を振りかざしているように見られないか」という意見もあった。だが最終的には、権力と戦うためには、市民に後ろ指を指されないよう、揺るぎない倫理が必要という結論になった。
この「良心宣言」は、労働組合を通じて全国の新聞記者に配った。残念ながら浸透しているとは言えないが、常に手元に置いている記者もいると聞く。
新聞記者と同様、「最高水準の」倫理が必要な職業は他にもある。言うまでもなく警察官僚もそうだ。しかし今や、市民の信頼感は大きく損なわれている。30万人近い職員がいれば、時には不祥事もあるだろう。全員に聖人君子を求めるのは酷だ、というのは理解できないわけでもない。
だが問題なのは、腐敗を隠蔽し、開き直り、極端な場合には「力」をもって抑え込むという警察組織の体質である。一連の裏金疑惑では、こともあろうに、その警察がまさに組織的に悪行に手を染め、なおかつ隠蔽を図るという実態が明らかになった。こんな組織のもとでは、良心を失う職員が続出するのも、むべなるかだ。
とはいえ、倫理が求められるのは、市民の期待が大きいことの裏返しでもある。新聞人も警察官も、個人としてそのことに思いを寄せたほうがいい。北海道警の問題では、北海道新聞の記者が徹底的に戦った。道警の職員の内部告発もあった。自らが所属する腐った組織を敵に回す「正義の味方」。それはカッコイイ。 (北村肇)