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「生命」にかかわる二つのニュースで見えたもの、それは、この国の為政者は災害や武装勢力より恐ろしいということだ

 その日、テレビは「生命」にかかわる二つのニュースを交互に流していた。新潟県中越地震で、土砂に埋もれた車から幼児が救い出されたときは、現場記者も興奮していた。一方、イラクで武装勢力の人質になった男性のビデオは、たんたんと伝えられた。
 
 二つの事件を特に関連づける要素はない。だが前者は災害被害で、後者は自ら危険地帯に赴いた自業自得の結果、と断じるのは乱暴にすぎる。

 土砂崩れの直接の原因は、台風による地盤のゆるみと大地震だが、真因はほかにあるのではないか。一言で言えば、ずさんな都市計画だ。一種の「政策災」とも言えよう。

 新潟県といえば、故田中角栄氏の地盤。日本列島改造論の掛け声のもと、新幹線が通り、高速道路が整備された。今回、その新幹線や高速道路が脆弱さを露呈する一方で、村が孤立するという現実を浮かび上がらせた。本当の「街づくり」とは何かが、改めて問われている。

 人質事件はどうか。結果は最悪の事態になった。いかなる理由があれ、無辜の市民を人質にし惨殺するのは卑劣であり、断固許せない。しかし、イラクへの自衛隊派兵により、日本人すべてに人質の危険をもたらした政府の責任を免除するわけにはいかないのだ。

 事件発生当初、例によって政府からは、「あれほど危険地域には行かないよう要請したのに」という発言が漏れてきた。相も変わらぬ自己責任論だ。さすがに、事態が深刻化するにつれ、「救出に全力を」に変わったが、「根本問題はイラク派兵にある」という点には、まったく触れなかった。そのくせ、「テロの残忍性」「テロには屈せず」を強調し、自衛隊の撤退はしないと繰り返す。米国でさえ事実上、イラク戦争に「大義名分」がなかったことを認めざるをえないのに、なぜ非を認めないのか。これからもまだ、イラクの、日本の市民に被害者を出し続けようというのか。

 何しろ、国が守るべき憲法を、国民の義務規定の法に変えようという人たちだ。政策の失敗に頬被りし平気でいられるような為政者は、災害や武装勢力より、さらに恐ろしいかもしれない。(北村肇)