ジョン・レノンが凶弾に倒れ、日本が真珠湾攻撃をした12月8日。今年はレノンを聴きながら、イラクを想像してみる
2004年12月3日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
モーツァルトの旋律は宇宙の奏でる音楽と重なり合う、という文章を読んだ記憶がある。クラシックにうといので、意味するところはわからないが、感覚的には理解できる気がする。宇宙それ自体が完結した世界で、なおかつ一つの巨大な「流れ」なら、そこに生きとし生けるものすべてに心地よさを与える旋律は存在するはずだ。
ビートルズはどうなのかと考えてみる。「歴史に名を刻んだグループ」と評価しても、異論はないだろう。私は団塊の世代のやや下だが、ビートルズの影響力は計り知れない。作品はもちろん、彼らの一挙手一投足、一言一言に敏感に反応してきた。さらに下った世代は、ビートルズを子守歌にしてきたさえいわれる。
では、彼らがつくり歌った曲は未来永劫、人類に受け入れられていくのだろうか。正直、わからない。純粋、音楽的価値を判断する能力は持ち合わせていないので。
ただ、少なくともビートルズという名は、ジョン・レノンとともに語り継がれていくだろう。もともとビートルズは、作品の力だけではなく、存在自体のメッセージ性が強烈な刺激を与えた。思えば、いわゆる「先進国」における戦前の文化的価値観を、根本から揺るがす役割を果たしたのかもしれない。
なかでも別格のオーラを出していたレノンが、「殉教者」となった。そのことは大きな意味をもつ。早すぎる死は、「神」を生み出すからだ。
本人は望んでいなかったであろう「神」になったレノンは、ある意味で、生前よりさらに激しいメッセージを伝える。ビートルズの他のメンバーがどうであろうと、「変質」しない伝道者は、私たちに「転向」を許さない。
彼が凶弾に倒れたのは1980年12月8日。その39年前、日本は真珠湾を攻撃した。今年はレノンを聴きながら、イラクをパレスティナを想像してみる。自分を愛し、自分を信じる――すべてはそこから始まると、ひっそりかみしめつつ。 (北村肇)