編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

暗く冷たい厳冬の先にあるのは、「覚醒」という開花だ

「梅は咲いーたか、桜はまだかいな――」。この時期になると、祖父の、調子っぱずれの歌声を思いだす。梅は梅であって桜ではないのに、年によって異なった風情を漂わせる。いや、それは違うのかもしれない。風情を変えているのは社会であり、私なのだろう。今年の梅は、ほころびかたが心もち派手だ。

 明るい話題は、驚くほどに少ない。陰鬱になる話題は、掃いて捨てるほどある。なのに、紅梅の存在感が際だつのは、行き着くところまで来たことへの開き直りといった気分によるものだ。そういえば、こんな古びた言葉も思いだしたりする。「冬来たりなば、春遠からじ」。むろん、とうに立春はすぎている。

 受信料の強制徴収に走るNHK、巨大兵器産業・三菱重工の正体、国策捜査の被害者、冤罪事件に巻き込まれた少年、夕張の悲鳴――。自分で言うのも変だが、本誌の特集を見る限り、この国は厳冬のさなかだ。

「戦争」は、鉦や太鼓を鳴らしながら、騒々しく賑々しくやってくるものではない。穏やかな日常の中にさりげなく浸透していく。ウイルスのようでもある。潜伏期間が過ぎたところで、一気に症状が現れ、病に冒されていたことに気づく。

 たとえば、NHK受信料について、「見ているのだから払えばいい」と言う人もいる。だが、重要な問題はほかにある。「命令放送」「強制徴収」を結びつけるだけでもわかるように、政府が目指すのは「一億総動員体制」であり、NHKがその方針に無批判に従ってしまうことこそが、「戦争」につながりかねない脅威なのだ。

 また、国策捜査や冤罪問題は、「お国に楯を突いてはいけない。不埒な者を処断するためには、『疑わしきは罰する』も致し方ない」との発想を導き出す。 

 本来なら、こうした権力の横暴に目を光らせ、とにもかくにも「戦争」を防ぐのがメディアの役割だ。ところが、これまた「一億総動員体制」へ向けてスタートする裁判員制度し関し、記事を装った広告が全国の地方紙に掲載されるという、信じがたい不祥事が発覚した。おそらく、この問題の徹底追及は本誌しかできないだろう。

 どんなに暗く冷たい厳冬でも、日増しに日差しは柔らかくなり、梅も桜も目覚める。事態が悪化するほどに、「覚醒」の機運は高まるのだ。(北村肇)