「戦争を実感できる」世代よ、めまぐるしい社会変化に動じるのはやめよう。そして、仮想現実が当たり前の世代に、歴史を語ろう。
2005年1月7日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
世代論は、そこに何もかもを押しつけるだけの意味はもたない。だが、時代を読み解くカギが豊富に詰まっているのも事実だ。たとえば、もの心ついたとき、テレビが日常化していたかどうかで、世代は大きく変わる。柔らかい頭や心に仮想現実が入り込んでくるのだから、その影響たるや、とても無視はできない。
人はもともと「生命」や「自然」は、手で触り鼻で嗅ぐなど、肉体を駆使して感じ取ってきた。テレビの誕生により、もう一つの「現実」が生まれたことで、「生命」や「自然」のリアリティが薄れた気がしてならない。
次はテレビゲーム、そしてインターネット、携帯が、息をもつかせぬ速度で世代の変化をもたらす。かつては「10年一昔」といった。20代と話していると「3年後輩になったら、何を考えているかわからない」と真顔でいう。いずれは「1年一昔」になるのだろう。
これでは将来的には、世代論は文字通り意味をもたなくなるかもしれない。だが現段階では、少なくとも「戦争を実感できる」世代という括りは成立する。この世代にいま問われているのは、テレビゲーム、インターネット、携帯世代に、戦争をどう「現実」として実感させられるかだ。
もはや「戦争を実感できる」世代は、はるか彼方と慨嘆する人もいる。だが老成化するのはまだまだ早い。2005年、戦後日本はたかだか還暦を迎えたばかりである。
本誌は1月7日、「敗戦60年 そして これから」と題した増刊号を刊行した。政治、経済、国際、福祉など、各ジャンルごとに、専門家に「日本の60年を振り返り、いまの立ち位置を分析し、未来を展望」してもらったものだ。ぜひ「戦争を実感できない」世代に読んでほしいと思っている。
めまぐるしい社会変化に動じるのはやめよう。鬼ごっこやカンけりで育った世代よ。立ち上がろう。そして、仮想現実が当たり前の世代に、歴史を語ろう。 (北村肇)