失言、妄言の閣僚、議員を居座らせている責任は、ジャーナリズム性を失った新聞社、テレビ局にある
2005年1月28日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
机の上に閣僚一覧が張ってある。昨年9月に発足した第2次小泉内閣だ。ふと見ながらつぶやいていた。
「一昔、いや二昔前なら、この閣僚の多く、それから何人かの自民党幹部は辞任していたろうなあ」。
何しろ、一々、覚えていられないくらい、失言、妄言のオンパレード。どうして居座っていられるのか不思議だ。これはひとえに、マスコミの姿勢に問題がある。私が新聞社の社会部に配属になったのは1981年だが、社会部記者の最大の狙いは、政治家のスキャンダルだった。人権侵害や言論弾圧につながる発言などがあれば、当然のごとく、徹底的にキャンペーンを展開した。
ここのところ、そうした勢いを新聞やテレビに感じない。逆に、政治家をかばうかのような報道さえ目につく。
NHKに対する政治家の「圧力」問題でもそうだ。当のNHKは、この件を報道した朝日新聞こそ「加害者」という態度をみせている。安倍晋三氏が「虚報だ」などと朝日新聞に抗議すると、まるで鬼の首をとったかのように「朝日新聞虚偽報道問題」と報じたりもした。
それだけでも呆然としていたら、放送総局長は会見で「議員に個別の番組を正確に理解してもらう必要がある」とすら語った。これでは「圧力をかけてください」とお願いしているようなものだ。自分たちはジャーナリストではないと認めたに等しい。
また読売新聞や産経新聞は、「女性国際戦犯法廷」自体に問題があるという趣旨の社説を掲載し、安倍氏を後押しした。両紙の「政府・自民党広報紙」ぶりは、もはや行き着くところまできている。
いまから記者を目指して勉強する学生ではないんだから、NHKの局長や読売、産経の社説子に「権力を監視し、批判するのがジャーナリズム」などと、お説教を垂れても仕方ない。この際、ぜひ他の職業に転職してください、とだけ言っておこう。(北村肇)