何が御手洗ビジョンだ。財界のゴーマンぶりには、ほとほとあきれる
2007年1月26日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
「サラリーマン金太郎」。漫画、ドラマの人気作品だ。暴走族出身の主人公が、会社人間や日本的企業風土を拒否し暴れまくる。日常、ヒラメ型社員であることに忸怩たる思いを抱きながら、気にくわない上司にはやむなくお追従を言い、うっぷんは居酒屋ではらす。そんな人々のストレス発散に役立っているようだ。
金太郎は何事にも正面からぶつかっていく。手練手管も裏工作もなれ合いも、すべて無縁。当然、会社人間からは疎まれる。私利私欲がないので、利権をあさろうとする連中とはもろに衝突する。それでも、純粋な熱血ぶりが、最後は、みんなの評価をうけるところとなる。
とまあ、ただほめちぎっても仕方ない。金太郎は「会社と恋愛したい」とのたまう。何だかんだ言っても、「愛社精神」は人一倍なのだ。それこそ、狸オヤジの経営者にかかったら、都合のいい「特攻精神」だけを利用されかねない危うさを持つ。
日本経団連の御手洗ビジョンをみて思った。さて、金太郎がキャノンやトヨタに入ったらどうなるか。暴走族の経験から、「日の丸」を本社前に掲げることは賛同してしまうかもしれない。だが、「政治献金の多寡を決めるために政党の評価をする」といった案には、「ふざけるな」と怒りまくるはずだ。
カネで魂の売り買いすることを、金太郎がよしとするとは考えにくい。想像される場面は――。マスコミ発表用の書類を手に、社長室にかけつける。そして「これはなんですかー」と叫び、書類を社長の机にたたきつける。
もともと偉そうではあるが、ここまでふんぞり返った財界を見たことはない。一体、何様のつもりか。政治家も政治家だ。カネに弱いのはわかっている。しかし一方で、少なくとも、自分たちが国を引っ張るという矜恃があったはずだ。たかが財界ごときの手先に成り下がって、悔しくはないのか。
マスコミにも言いたい。御手洗ビジョンを批判的に報道した全国紙はない。昨年も何度、この欄で書いたかわからないが、ジャーナリズムの精神はどこにいったのか。ここまでゴーマンなビジョンをそのまま掲載する神経がわからない。
「サラリーマンをなめんじゃねえ!」。 (北村肇)