大クライアント「トヨタ」の顔色をうかがって愛知万博批判をしないメディアは、自ら「信頼感」を失わせている
2005年3月18日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
トヨタ自動車の広告を止められたら、その日に倒産の危機に陥る新聞社もあるだろう。社によっては収入の半分を広告に頼る現状では、大手クライアントがメディアの生殺与奪の権を持っている、といっても過言ではない。
「電通」キャンペーンでも詳述してきたが、愛知万博批判の記事が滅多にないのも、実質「トヨタ博」と揶揄されるほど、トヨタの影響力が強いからだ。広告とのバーターで協賛金を出した新聞社もある。「だから、やむをえない」というのかもしれないが、こうした姿勢が新聞離れを加速しているのは、紛れもない事実だ。
マスコミとはいっても、そこは企業。広告主をまったく無視しては、経営が成り立たないのは理解できる。万博に関しても、それが「環境破壊博」であれ、トヨタの広告や政府広報を一切拒否しろ、とまで言うつもりはない。また、入場券の発売状況やパビリオンの内容などを報道するのも、一応は国家的イベントなのだから、メディアとしては当然のことだろう。
しかし、トヨタの顔色をうかがって批判を書かないとなると、問題はまったく別である。本誌は今週号をはじめ、何度かにわたって愛知万博の負の面を明らかにしてきた。記者を数多く抱える新聞社が、これらの点について実態を知らないとは考えにくい。あえて触れていないのだろう。トヨタや電通が具体的に、「このことは書かないで欲しい」と要望してくることはあまりないので、基本的には「自主規制」と思われる。
ある電通の若手社員がこんなことを話していた。「しばらく前は、記事のクレームを新聞社の広告局にもっていくと、『編集局がウンと言うわけない』と及び腰だった。最近は、『大丈夫』ということが増えた。こちらとしてはありがたいが、クライアントの要求があまりエスカレートするのも困る。新聞は、少し強面くらいのほうがいいんじゃないかな」。
目先の利益を求めるばかりに、メディアにとって最も重要な「信頼性」を失っている。新聞社は、なぜこんな単純なことに気づかないのか。「広告はください。でも書くべきことは書きます!」。たまには啖呵を切ったらどうか。(北村肇)