なぜ、マスコミは地検や公安警察の批判キャンペーンができないのか。
2005年4月1日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
検察批判キャンペーンを紙面化した大手新聞はない。そう断言してもいいだろう。実は『毎日新聞』で、企画の前段階までいったことがある。結局はつぶれた。東京地検から圧力がかかったわけではない。地検担当の記者から、「取材ができなくなる」と悲鳴があがったからだ。10年ほど前のことである。いまも事情は、そう変わらないだろう。
地検がらみの記事では、「模様」という表現が多用される。「逮捕の方針を固めた模様だ」という具合だ。「方針」を「固めた」、しかも「模様」だが、決して憶測記事ではない。確信はあっても断定できないのである。地検は、捜査状況が事前に漏れるのを何よりも嫌う。そのような記事が載れば、当該の社は「出入り禁止」となり、記者会見にも参加できなくなることがある。
今年初め、東京地検特捜部長が、「マスコミはやくざ者より始末におえない」と公言した文書を記者に配り、問題になった。「正直なところ、マスコミの取材と報道は捜査にとって有害無益です」としたうえで、「マスコミが無闇に事件関係者に取材したり、特捜部が誰を呼びだして取り調べたとか、捜索をしたとかの捜査状況の報道をしたり、逮捕や捜索の強制捜査のいわゆる前打ち報道をしたりすることによって……捜査を妨害し……犯罪者及び犯罪組織を支援している以外の何物でもありません」という、激烈な内容だ。
この特捜部長に限らず、地検捜査員は一様に、「事前報道」を苦々しく思っている。だが、地検担当記者は「特ダネ」を書かなくてはならない。当然、そこには緊張関係が生まれる。とはいえ、力関係はどうみても地検のほうが上だ。そして、こうした状況のもと、地検批判の記事を書いたらどうなるか。「事実上、取材できなくなり、読者に情報提供ができない」が、記者の素直な感想だろう。そしてこれはそのまま、公安警察にもあてはまるのだ。
社会部に長く在籍し、警察担当もしてきた身としては、担当記者の苦悩はよくわかる。しかし支持はできない。他社に先駆けて、「明日逮捕」などの記事を書くことにどれほどの意味があるのか。そんなことより、捜査当局を批判できない担当記者の存在とは一体、何なのかと自問すべきだ。書くべきは、地検や警察が権力を笠に着て間違った捜査をしたとき、あるいはすべき捜査をしなかったときだろう。先の苦悩は、企業記者の苦悩にすぎない。権力批判を仕事とする、真のジャーナリストの苦悩ではない。(北村肇)