編集長コラム「金曜日から」 編集長のコラムを公開しています。

だれもが「犯罪者」「犯罪予備者」にされてしまうのが監視社会だ

 窓の蝶番が外れたのか、神経を逆なでするきしみ音が耐えない。すきま風も無遠慮に入り込んでくる。風邪を引きそうだ。この国は、いつからこんな安普請になったのだろう。熱っぽい体を無理矢理起こし、窓辺に立ってみた。かなたに、小ぶりでも大ぶりでもない木が一本、青い風に包まれ、すくっと立っている。
 ここで目が覚めた。寝入る前に考えていたのは、地下鉄の監視カメラだった。顔を撮られるのは不愉快だから、避けながら歩く。するとカメラはどこまでも追ってくる。思わずのぞき込むと、ニヤニヤした顔がアップで目に飛びこむ。そんなおぞましい想像にぞくっとしていたのだから、悪夢もいたしかたない。

 監視社会が恐ろしいのは、「自分には関係ない」に始まり、「自分を守るために他人を売る」人間が出てくることだ。

 いまは多くの人が「監視カメラで撮られて困るのは犯罪者くらい」と思っている。その「犯罪者」も「テロの容疑者、指名手配されている凶悪犯」ととらえていることだろう。だが、すでに「自衛隊のイラク派兵反対」のチラシを配ったという“罪”で、「犯罪者」にされた市民がいる。逃亡の恐れも証拠隠滅の恐れもないのに、名誉毀損容疑で出版社社長が逮捕され、長期拘留される事件も起きた。

 このままでは、いずれ、「憲法を守ろう」という集会に参加しただけで「犯罪予備軍」にされてしまう時代がくるだろう。顔写真を撮られ、そのデータは警察に登録される。いったんそうなったら、どこの駅から乗っても降りても、警察に動向を把握されてしまう。

 さらに事態が進めば、国民すべての顔写真、指紋などの情報が国に収集され、あらゆる人の行動が管理されることにもなりかねない。人々は、常にだれかに見られているという圧迫感の中で、しだいに疑心暗鬼に陥る。「自分が犯罪者扱いされないためには、犯罪者を摘発するのが一番」と考える者も出てくるだろう。

 それにしても、夢の中の「木」は何を意味するのか。自然のままに大地に根をはり、のびのびと枝を伸ばしていた、人々がゆったりと息をして、穏やかに自由に暮らしていた(少なくともそう感じていた)子ども時代のことだろうか。あるいは、「大きな政府」のもと、不安とは無縁の日々を送る北欧の国々に思いをはせたのか。自分の夢を分析するのもおかしいが、明瞭な答えはない。あるのはただ、今の日本では、木はおろか青空さえ姿を隠してしまったという現実。 (北村肇)