宇宙の真理を忘れた愚かな権力者がつくる、このぎすぎすした世界
2006年5月12日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
久しぶりに宇宙の果てを見てきた。季節はずれの風邪で高熱にうなされたおかげだ。ビッグバン以来、際限なく膨張し続ける宇宙の先端に魂がたどり着くと、そこには、混沌としながらもすべてを包み込む世界がある。赦しの感覚とでも言おうか。自らが赦されるだけではなく、何もかもを赦す自分がいる。
もうろうとした、しかしどこかで覚醒した意識に、ラジオから流れるニュースが、悪質なウィルスのごとくに侵入する。
「教育基本法改正案の成立を目指す」……子どもたちが“おかしくなっている”理由は、教育基本法にあるわけではない。子どもを愛さず、信じない大人にこそ問題があるのだ。
「共謀罪の審議入り」……居酒屋で「国会に突っ込もう」と軽口をたたいただけで、直ちに逮捕。こんな法律が通ろうとしている。白昼夢としか言いようがない。マスコミは意味のない客観報道はやめて、「反対」のキャンペーンを展開しろ。
「憲法改正に向けた国民投票法案成立への動き」……なぜ今、国民投票法案なのか。動機が不純だ。国民の多くが「憲法改定」と「国民投票法」の関係について十分に理解していない。徹底議論が先決だろう。
「米軍再編成問題の決着」……これは単なる「米軍再編成」ではない。自衛隊が米軍の指揮下に入り、米国の世界戦略に軍事的な貢献をするという宣言だ。とんでもない。
ラジオでは、音楽をはさんだ後に、「殺したいから殺したと自供」「エジプトでも爆弾テロ」というニュースが続く。
「宇宙の中では芥子粒の地球」。そんな決まり文句は使いたくない。地球も、そして人間も一つの宇宙だ。だからこそ、少し精神を飛躍させれば、宇宙の果てにも行ける。あらゆる「存在」は一つながりであり、断裂はない。それがゆえに赦し合えるのだ。
なぜこの国は、いや地球全体はぎすぎすしているのか。愚かな権力者が宇宙の真理を忘れ、「愛」を失っているからだ。
風邪はときに、「やさしさ」について考えさせてくれる。(北村肇)