さりげなくおいしい店、自然に愛着の気持ちが起きる「国」、それが好ましい
2006年6月9日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
おいしいハンバーグ屋さんが店を閉じた。たまたまその4日前に食べに行った。店内の小さな張り紙で気づいたが、理由は聞かなかった。常にもまして動き回る年老いたオヤジさんの背中が、「聞かないでほしい」と語っていたからだ。カウンターだけの店はいつも通りの盛況。でもだれも閉店には触れない。
後日、店の前を通ったら、「ご愛顧に感謝します」という、これも目立たない紙が一枚、貼られていた。おそらく30年以上、ハンバーグ一筋で続けてきたのだろう。他のメニューはない。味は、派手さはないが舌になじんだ。サービスのみそ汁ともよく合った。時折、ふっと食べたくなる、そんな店だった。
雑誌やネット上での「おいしい、おしゃれ」という情報を頼りに行ってみると、入っただけで満腹になる店がある。
「フランス仕込みのシェフが作っているんだ。この味がわからないヤツはどうかしている」
「日本でこれだけの中華料理を出す店はない。料理人はテレビでも有名な○○だぞ」
別にメニューにそんなことが書いているわけではない。でも、いかにも上のほうから「食べさせてやる」といった声が聞こえるようで、尻のあたりがムズムズする。それでも本当に美味なら我慢もしよう。が、たいていは「まずい、高い」という結末に終わる。
もともと、押しつけがましいのは性に合わない。デパートで「何かお捜しですか」と店員が寄ってくるだけで腰を引いてしまう。自分で見て確かめて、良ければ買う。気に入らなければ買わない。それだけだ。
デカデカとした紙に「国を愛しましょう」と書き、迫ってくる人たちを夢見た。放っておいてくれと顔をそむけても、回り込んでくる。「その国はおいしくて、安いですか」。何しろ夢の世界。わけのわからない質問をする私。それを見ている自分もいる。
「……わかりませんよ。そんなこと」
「それじゃあ、食べられない」
「……」
陰険、かつ軟弱な顔つきが不快な連中だった。 (北村肇)