米国の米国による米国のための「軍隊」にされつつある自衛隊。これってジョーク?
2006年6月16日9:00AM|カテゴリー:一筆不乱|北村 肇
自分なりに訓練してきたことがある。緊急事態が起きたら、肩の力を抜き冗談の一つも言ってみる。状況が深刻であるほど、お気楽で前向きな発想をする。もともとは思い悩むタイプで、切れやすい。これではまずいと、ある日、それなりの決心をした。
きっかけは新聞社の社会部時代。大事件が起きると、部内は火事場のようになる。ときたま、実質的な指揮をとるデスクが一人で大騒ぎをして、的確な指示のなされないことがあった。このタイプは普段から、「あの記事はまずかったかなあ」、「部長に叱られて」などとうじうじすることが多く、概ね部員の評価は低い。
もって他山の石。デスクになることがあったら、どんな事件・事故が起ころうとあわてず騒がず、また、若い記者の前で愚痴ったり苦悩の顔を見せることも厳禁、と心に決めた。
何年か後、若い記者に「悩みのないデスク」と評された。何があろうと、「関係ない」という顔でヘラヘラしていたからだろう。実際は「装っていた」ほうが多かったのだが、多少、訓練の成果があったと自負している。
ここのところ、憲法、教育基本法、共謀罪に関する講演を頼まれる機会が増えた。テーマは深刻そのもの。どうしても固い話しになる。そこで、あえてジョークを交えてみる。話すほうはまだいい。だが、1時間、場合によっては2時間も聞かされる人はたまらないと思ったりするからだ。
こちらの訓練は労働組合の役員時代に積んだ。若い組合員の中には、初めから居眠りの態勢で集会に臨む連中もいた。「寝るな」と叱っても無駄。今度は前の人に隠れ、携帯をいじるのが関の山だ。退屈な話しをする自分が悪いのだからと、意識的にシャレを交えたり、小話を織り込んだりした。多少は、熟睡する組合員は減ったように思う。
ただ最近は、どんな講演会でも、あえて笑いをとらずとも、意外に聞いてもらえる。特に、日本が米国の属国になっている事実に触れると、反応が大きい。話芸が上達したのだろうと、うぬぼれるほどお人好しでもない。
あるとき、そうか、と膝をたたいた。日米同盟の名のもと、すべては米国の利益のために進んでいく。気が付けば、自衛隊も、米国の米国による米国のための「軍隊」にされつつある。これってジョークそのものじゃないか。(北村肇)