いまだ遺骨が掘り出される沖縄――66回目の「慰霊の日」
2011年7月21日1:32PM
六月二三日、沖縄では六六回目の慰霊の日を迎えた。糸満市摩文仁の平和祈念公園では県主催の式典が開かれた。出席した菅直人首相は沖縄の基地負担軽減について触れたが、普天間飛行場の辺野古移設の方針は変わらず、県外移設を訴えた仲井眞弘多県知事とは大きな隔たりを見せた。
同市米須にある魂魄之塔前では二八回目となる国際反戦沖縄集会が同実行委員会により開かれた。この集会は一九八四年当時、保守県政の下で、県主催の慰霊式典が英霊賛美になろうとしていた中で反戦平和の決意を新たにするため、一坪反戦地主が集会を始めたのがきっかけ。今は多くの住民運動や平和運動に携わる人たちが実行委員会を結成して行なっている。
遺骨収集の活動を続けるガマフヤーの会の具志堅隆松代表は、「国は遺骨のDNA鑑定を行ない身元特定をする義務がある」と語り、近く要請行動をすると報告。また、遺骨収集の計画が組み込まれないまま開発が進む激戦地跡地の現状に触れ、「開発をする時、宜野湾市嘉数以南は遺骨が出てくるかもしれないという認識を県民や各自治体は持ってほしい」と語り、不発弾同様に工事前には遺骨収集の計画を組み込む必要性を訴えた。
遺族らが靖国合祀取り下げを求め続いている裁判の原告の一人で、彫刻家の金城実さんは、「原告側の信教の自由を認めたら靖国の信教の自由を脅かすことになる」と裁判官が語ったことに触れ、「これは天皇に危害を加えない範囲で信教の自由を認められた明治憲法と変わらない。司法は腐っている。だが、諦めるわけにはいかない。子どもたちに受け継がれていく抵抗の力が進化するよう、希望を持っている」と訴えた。
魂魄之塔は、一九四六年に沖縄の人々によって初めて建立された慰霊塔。身元の特定ができない遺骨約三万五〇〇〇体が納められている。この日も、多くの遺族が訪れ、線香や花をそなえ、手を合わせていた。
(江藤直樹・ライター、7月1日号)