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“密約あり→外務省が廃棄→文書はない”の論理――「あるべき文書がない」で原告敗訴
2011年10月17日6:08PM
沖縄返還にともない日米政府間で交わされた「財政密約文書」について、元『毎日新聞』記者の西山太吉さんや作家の澤地久枝さんらが国に開示を求めた訴訟の控訴審判決が九月二九日、東京高裁(青柳馨裁判長)で言い渡された。青柳裁判長は、密約文書の存在と国による文書保有を認めた一審判決を取り消し、文書は(開示請求時には)存在していなかったと結論付ける一方で、国が以前は密約文書を保有していたことを全面的に認定。さらに、その文書を、二〇〇一年の情報公開法が施行される前に「秘密裏に廃棄」した可能性に言及した。
原告が求めていたのは、一九七二年の沖縄返還協定をめぐって、(1)軍用地の原状回復補償費四〇〇万ドル(2)米政府の宣伝ラジオ放送「ボイス オブ アメリカ」(VOA)の移転費一六〇〇万ドル(3)返還協定で定めた三億二〇〇〇万ドルを超える財政負担などを日本側が肩代わりする、とした密約文書の開示。昨年四月の東京地裁(杉原則彦裁判長)判決は、密約の存在を裁判所として初めて認め、国に文書の開示を命じていた。
しかし今回の判決は、当時の政府には、文書を「秘匿する意図が強く働いていた」ため、限られた職員しか知らない方法で保管された可能性が高く、外務省の説明が事実に反していたことを露呈することを防ぐため、秘密裏に廃棄した可能性を否定できない、とした。
密約文書の存在を明確に認めた上で、だからこそ、政府による「文書はなかった」という主張は「信用性は高い」と結論付けた。
密約という国家犯罪の追及をしてきた原告団にとってみれば、「密約はあった」ということが認められながら、それを“逆手”に、敗訴をこうむる格好となった。
原告共同代表の桂敬一さんは判決後の会見で「密約が認められた以上、この文書をこれ以上探しても意味がない、ということか」と怒りを露わにした。琉球大学の我部政明さんも「あるべき文書がないのなら、その説明が必要」と指摘し、密約という大きな問題が、文書があるかないか、という細かい議論に矮小化されてしまっている現実に「木を見て森を見ず、という判決。残念だ」と肩を落とした。澤地さんも「裁判所は、一枚岩になってメンツを守ろうとする外務省を救った」と憤りを示した。
判決は「文書の廃棄」に言及しながら、その「責任」は問うていない。沖縄返還協議の過程で、密約文書にサインしたことを一審で証言した元外務省米局長の吉野文六さんは「密約文書とはいえ、外交文書を廃棄したなどというのは通常考えられないし、今も信じがたい」と、本誌の取材に語った。
西山さんは判決を「大勝利であり大敗北」と総括。密約の存在を認めた一審よりも「どーんと突き進んだ」と力説した上で、文書廃棄を不問に付す内容に「情報公開の精神とはそんなものか」と吐き捨てるように言った。
情報公開制度に詳しい専修大学の山田健太准教授は、「密約文書の廃棄という歴史に対する政府の冒涜を、訴訟筋とは違うからと、見逃す態度はいかがなものか。知る権利を防御的な自由権に押しとどめている」と批判した。
七一年、当時記者だった西山さんが暴いた「日米密約」は、「取材手法に問題あり」という小さな話が大きく取りあげられ、国家犯罪という、本質的な問題が遠くに隠されてしまった。「文書があるか、ないか」という形式的な問題にすり替える今回の判決も、この愚を踏襲してはいないか。
また、過去の歴史的事実を検証し、次世代に向けた教訓へ昇華させていく使命は、本来、個々の市民が担うもの。米公文書館で密約文書を探し出した我部さんは、歴史学と司法の“狭間”に言及する。
「(歴史的事実は)裁判所に認めてもらわないと、歴史として認知されないのか。司法にも限界がある、ということを忘れていたのかもしれない」
なぜ密約は生まれたのか。その問いは「なぜ沖縄への過重負担が続くのか」という問いにも繋がる。
原告は四日現在、上告するかどうか、検討中だ。
(野中大樹・編集部、10月7日号)