民主党離党を表明した中島政希衆議院議員インタビュー
2012年1月23日2:54PM
――離党を表明されましたが、主たる理由を教えてください。
八ッ場ダムというのは単なる一公共事業の問題ではない。マニフェストの象徴のようなもの。それを説明もなく一八〇度変えることは、政党政治として許されるべきものではない。自分の意見を変えることはできないので、政治的な立場を変えるしかない。
前田武志国交相は私どもに説明することなく、長野原町に行って推進派と一緒に万歳をした。既成事実を積み上げて、政治的決定を覆すというのは戦前にもよくあったが、これは政党政治の自殺行為。民主党には民主党たらしめる精神や理念があったはず。八ッ場ダムに象徴されるように、官僚が何かを作って、政治が同意を与えるような統治システムを変えていかなければならない。
政治主導とは政治が大きな時代精神を代表して哲学理念をもって個別政策を選択していくということだ。民主党のアイデンティティが問われている。
私たちは白い旗を掲げて闘い、政権交代ができた。多少、ホコリに汚れて見苦しくなってきたかもしれないが、洗濯すれば白い旗に戻るだろうと思っていた。ところがその旗を無造作に捨てた。野田政権が新しい旗を立てたら白じゃなくて黒。民主党が変節した。
――民主党はなぜ国民の期待に応えられなかったのか。
一昨年の参議院選敗北や政官業の癒着など、困難な状況を打破して闘うには哲学や志や理念が必要だが、そういう大事なものを捨てて、現実に妥協しすぎたのではないか。理想主義で討ち死にする政権もあるが、現実に迎合しすぎてつぶれる政権も歴史上たくさんある。今の民主党政権はその後者の道を歩んでいる。
――軌道修正する機会はあった。
前原誠司さんが検証を始めたときは中止を実現するための検証だった。ある意味、推進派のガス抜き。民主党の政策決定システムも随分動いた。前原さんが政調会長になり決定権を持つようになった時に八ッ場ダムを党として検証すべきだった。
最終段階に分科会が国土交通部門会議にできたが、そのときはもう遅かった。国交省関東地方整備局の検証結果の素案が九月に出たときに危機感を覚えた。このままいけば継続になってしまう。その時は職を賭さなければならないと思い、反対活動に力を入れた。
最終的には作らないんだと再三伝えられたし、反対運動をあおって、推進している県や自治体を刺激しないでほしいとも言われていた。ガス抜きされていたのは私どもだった。これまた不明を恥じなければいけない。
――今後については?
私は新党さきがけ、民主党と十数年やってきた。新しい時代は新しい若い勇気と見識のある人がリーダーとなり旗を立ててもらいたい。そういう人がいればお手伝いしたい。小沢一郎さんは日本の政治構造に変化を与え、歴史的な評価は高い。しかし使命は鳩山由紀夫さんとともに政権交代をした時点で完了した。それ以後は、次の世代が出てこなければいけない時期だ。
(聞き手・まさのあつこ、1月13日号)