単純な不作為か意図的な隠蔽か――年金試算の会議も「議事録なし」
2012年2月13日11:53AM
「アカウンタビリティ」が最初に政治の世界で用いられたのは、薬害エイズ事件の時だったと記憶する。証明責任を意味するこの言葉をしばしば口にしたのは、当時厚相だった菅直人氏だった。厚生官僚たちが存在を否定していた薬害の証拠である「郡司ファイル」を探し出させ、被害者たちに謝罪したことで、菅氏は一躍「首相にしたい政治家ナンバーワン」に躍り出た。
それから一三年を経て民主党は政権を獲り、その一年後に菅氏は念願の首相に就任する。その在任中の昨年三月一一日に東日本大震災が起き、東京電力福島第一原発事故が発生した。
前代未問の大災害の勃発に、当時の政府が対応に苦慮したのは報道されている通りだが、それが最善だったかどうかについては今後の検証に委ねられることになる。だがこの度、その資料となるべき議事録が欠落している事実が発覚した。
今年一月二七日に内閣府が公表したところによると、同震災に対応する一五会議のうち原発事故経済被害対応チームなど五会議は議事概要を作成するも議事録はなく、政府・東京電力統合対策室と電力需給に関する検討委員会については議事概要も不完全、原子力災害対策本部と緊急対策本部、被災者生活支援特別対策本部については議事録も議事概要もないということだった。
これについて公文書管理を担当する岡田克也副首相は一月二四日の会見で「事後的に(議事録を)作ることが認められないわけではない」としつつ、関与した者について「ただちに処分とかそういった話ではないように思う」と述べている。
確かに公文書管理法によればそうなるだろう。では災害から一年近くたった今でもなお作成されていないのはなぜなのか。そもそも忙しさにかまけた単純な「不作為」なのだろうか。意図的な毀棄や隠蔽ではないのだろうか。そうなると事情が異なる。
実際に菅政権は昨年三月二五日付で近藤駿介原子力委員会委員長が「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」を作成していたのに、それを隠蔽していた事実がある。
これには今年一月六日の会見で細野豪志原子力行政担当相は「公表することで必要のない心配を及ぼす可能性があり、公表を控えた」と弁明している。だがこの判断には疑念が残る。政府は意図的に放射能被害を軽く見ようとしていたのではないか。
昨年三月一七日に駐日米国大使館が米国民に対して福島第一原発から八〇キロ以内からの退去勧告を出したが、この時に日本政府が出した避難指示の範囲は二〇キロであったのも、隠蔽ではなかったのか。
もっとも議事録の欠如については「かなり厳しい環境の下で、権限関係が必ずしもはっきりしない、新しい組織を立ち上げた中で起こった不幸な事件」(岡田副首相)とする意見もある。だが問題はその体質が「平時」においても見られることだ。
たとえば年金財政試算に関する政府・与党三役会議だ。一月二九日の会議の後、樽床伸二幹事長代行は記者に尋ねられて、議事録を作成していないことを白状した。輿石東幹事長も一月三〇日の会見で「党主催の会議ゆえに、公文書管理法の対象外。公表することは考えていない」と明言した。
しかし年金問題は国民の重要な関心事であり、たとえ消費税と直接かかわりがないとしても、増税問題と切り離せるはずがない。しかも「年金制度は四〇年かけて制度を変えるもの」(輿石東幹事長)ならばなおさら公文書でなくても公表すべきではないか。それが政治のアカウンタビリティというものではないか。
年金の試算については昨年すでに厚生労働省によるものが出ているのに、今回もこれを出さないとしているのは自分たちに都合が悪いからではないか。その態度に初心を忘れ、「よらしむべし知らしむべからず」という政権与党ゆえの驕りがあるように感じられて仕方ないのは筆者だけではあるまい。
(天城慶・ジャーナリスト、2月3日号)