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福岡高裁が「最終解決」に異議――国の「認定基準」を否定
2012年3月16日6:10PM
水俣病の認定申請をしていたにもかかわらず二一年間も放置され、棄却処分となった溝口チエさん(故人)の次男、秋生さん(八〇歳)が、棄却処分の取り消しと認定義務付けを求めていた裁判で、福岡高裁は二月二七日、チエさんを水俣病と認めるよう熊本県に命じる判決を出した。
西謙二裁判長は判決理由を「生活状況等を総合的に考慮することにより、水俣病と認める余地がある」とした。
本裁判で最大の争点となったのは「認定基準」の妥当性だ。一九七七年に旧環境庁が通知したこの基準は、手足の感覚障害や視野狭窄など複数の症状が組み合わさっていることを認定の条件としている。水俣病発生の初期から住民の検診をしてきた原田正純医師は、メチル水銀に被ばくしている人の数は「二〇万人に及ぶ」としているが、現在、認定された人は約三〇〇〇人にとどまっている。
国が被害を狭く限定したことで棄却処分された人々は、裁判によって認定を求めた。相次いで提起される訴訟に対し、政府は九五年、「感覚障害のみ」の人に一時金を支給する「政治決着」を図る。しかし、受け入れた人について国は、「患者」ではなく「被害者」と定義し、「認定基準」はそのまま据え置かれた。
しかし二〇〇四年、関西訴訟最高裁が「認定基準」とは別の基準を示したことで、認定を求めて名乗りをあげる人が急増した。
この事態を打開するため政府は〇九年、水俣病被害者救済特措法を成立させ、感覚障害だけでも「被害者」として救済する道筋を示したが、同法による救済の受付けの締め切りは今年七月末。「最終解決」を目前に控えた政府は、細野豪志環境相自らが先頭に立って告知活動を活発化させるなど、かつてないほどの“熱心さ”を見せている。
一方で、差別などを恐れ申請をためらう人が現在も少なくない。行政は「紛争処理」ではなく、被害の実態調査ひいては「認定基準」の見直しにこそ“熱心さ”を見せるべきだろう。
(野中大樹・編集部、3月2日号)