【タグ】億|北小島|北小島灯台|南小島|古賀善次|尖閣神社|尖閣諸島|支払い|日本青年社|栗原家|登記|石原慎太郎|経緯|賃料|都知事|領有|魚釣島|魚釣島灯台
「地主」栗原家には小泉政権以降、億単位の賃料支払い――尖閣諸島、領有と登記の経緯
2012年5月15日4:00PM
石原慎太郎東京都知事が購入交渉を進める尖閣諸島の魚釣島など三つの島。その登記を過去まで辿ると、土地売買の経緯や一九三二年以前の所有者が不明のほか、右翼団体が島に建てた建築物などの登記が一切ないなど、いくつかの疑問が出てくる。
さらに二〇〇二年以降、地主には億単位の賃貸料が政府から(つまり、われわれの税金から)支払われており、“収益物件”としての尖閣諸島の別の相貎が浮かび上がってくる。
都が購入を計画しているのは、魚釣島(中国名・釣魚台)、北小島(中国名同じ)、南小島(同)の三島。魚釣島は沖縄県石垣市登野城二三九二番。登記によれば三六四万一九八三平方メートルの面積があり、さいたま市の素封家・栗原國起氏の所有。
那覇地方法務局石垣支所が管理している九八年八月一二日作成の閉鎖登記簿によれば、面積は当初三六七万二三一〇平方メートルあった。三二年三月五日に、当地で鰹節工場などを営んでいたという古賀善次氏が売買によって取得したことになっているが、売買相手や価格記載はない。
閉鎖登記なのにそれ以前の所有者名はない。七八年四月二四日に栗原氏に売却された。
南小島は石垣市登野城二三九〇番と地番は一番若い。当初は三二万七三一〇平方メートルあり、魚釣島と登記していた。現在は三二万四六二八平方メートルに減少。七四年六月二一日に栗原國起氏が売買で取得。こちらもそれ以前の登記はない。
九一年六月二九日に、最近マスコミに地主代理人として登場する弟の栗原弘行氏に売却されたが、〇二年に國起氏が買い戻している。
北小島は石垣市字登野城二三九一番。二五万八八四二平方メートルと三島の中では最小。当初は二六万一〇〇〇平方メートルあった。こちらも魚釣島の登記が残る。南小島と同じ経緯で売買の記録があり、七四年六月二一日以前の登記はない。
栗原國起氏は魚釣島で鰹節工場やアホウドリの羽毛採取をしていた古賀家と親交があり、これらの島を譲り受けたと言われる。魚釣島には鰹節工場や関連施設以外にも住宅などの廃屋、右翼団体日本青年社が建てた魚釣島灯台、尖閣神社が、北小島には北小島灯台が存在するが、これらの登記はなく、手続きが明らかでない違法建築物の疑いが濃厚だ(注)。
栗原家はほかに久場島(中国名・黄尾峡)も所有しているが、久場島を除く前記三島は、靖国神社への参拝を繰り返した小泉政権時の〇二年四月一日から国と賃貸契約を結んでいた。政府は以後毎年、魚釣島に二一一二万三四九二円、南小島に一八八万二八三六円、北小島に一五〇万一二七二円、合計二四五〇万七六〇〇円を支払っている(賃料は〇六年以降のもの)。
小泉政権時の賃貸契約は「尖閣諸島の平穏且つ安定的な維持管理」(一〇年一〇月二一日、国会内閣委員会での仙谷由人官房長官・当時の答弁)が目的とされているが、違法建築物で脱税の疑いもあるこの島にこれほどの税金投入が必要なのか。
栗原國起氏への賃貸料は今年度末までに累計二億六二五〇万八八四八円。土地の固定資産税を支払ってもなお余りある。登記上は「原野」と記され、電気、ガス、水道もない尖閣諸島は、実は莫大な利益を生み続ける“収益物件”だったのだ。
栗原家はさいたま市大宮公園の近くで菱屋会館という結婚式場を営んでいたが、会館は一時新興宗教団体の研修施設に提供されていた。社名も七五年一一月二〇日に菱屋興産オート株式会社となり、自動車の販売や不動産取引業にシフトしている模様だ。
(注)古賀家の鰹節工場は久場島にあったとする異説もあるが、関連施設も含めて建物登記は一切ない。また一九七八年に右翼団体日本青年社が建てた魚釣島灯台は、二〇〇五年二月一四日付官報四〇三二号の海上保安庁告示三七号で正式な灯台として公示された。日本青年社はホームページや機関誌『青年戦士』三九八号(同年七月二五日発行)で政府譲渡を明らかにした。ただし北小島灯台、尖閣神社は明らかでない。
(和仁廉夫・ジャーナリスト、4月27日号)
【タグ】億|北小島|北小島灯台|南小島|古賀善次|尖閣神社|尖閣諸島|支払い|日本青年社|栗原家|登記|石原慎太郎|経緯|賃料|都知事|領有|魚釣島|魚釣島灯台