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領土ナショナリズムだけではない中華世界の認識――「尖閣」は歴史問題でもある
2012年9月3日6:02PM
八月一七日夜九時過ぎ香港国際空港に大きな歓喜の声が上がった。魚釣島に上陸した保釣行動委員会の活動家ら七人が凱旋したからだ。詰めかけた報道陣、支援者は二〇〇人余り。「勇士」の首に花輪がかけられ、恋人や家族らが花束を持って駆け寄った。
そうした様子を伝えた一八日の地元各紙は「七勇士」(『東方日報』)、「勇士凱旋」(『蘋果日報』)と一面トップで伝え、「雖被捕仍抗争」(『都市日報』)、「中央軟弱 誓再登島」(『明報』)など上陸運動の継続を見出しに掲げたものもあった。
無名だった保釣行動委員会。過激で市民から浮いた存在(一八日付『東京新聞』朝刊)との報道もあるが、正しくない。筆者が知る彼らの横顔を紹介しよう。
上陸を指揮した曾健成は「阿牛」(牛ちゃん)との愛称で知られる。民主派が半数を制した英植民地時代最後の一九九五年、立法評議会選挙で建設業界代表で当選した「女王陛下の立法評議会議員」(国会議員)だった。返還後の立法会議員選挙で落選したが、二〇〇三年の区議会選挙で当選。地方議員を二期八年務めたが、昨年から浪人中。今回の“快挙”で九月九日の立法会選挙で当選しそうだ。
社会運動家の古思堯は元ダンサー。民主明星(民主派スター議員)の梁國雄立法会議員(長毛)と棺桶を担ぐパフォーマンスが有名だ。香港返還時にはテレビ朝日の「ニュースステーション」(当時)にも出演した。
船主の羅堪就は保釣行動委員会の前主席。船の調達に重要な役割を果たした。読み書きができず広東語しか話せない。
そもそも尖閣諸島(釣魚台)の中国主権を主張する香港の保釣運動は、沖縄返還を前にした一九七〇年代初頭にさかのぼる。文革(文化大革命)時の香港暴動で中国共産党への信望が失墜したのち、香港市民が中国語公用化運動とともに自ら行動した運動だった。現在は東京都知事である石原慎太郎氏はかつて、任侠系右翼団体日本青年社に魚釣島の灯台を作らせたと語ったが、その灯台修理を機に再燃した九六年の第二次保釣運動では、今回の上陸の指揮を執った阿牛らが上陸に成功している。
二年前の尖閣海域での漁船衝突事件以来、中国の漁業監視船が前面に出て、香港、台湾の保釣活動家の船は、当局によって出港を阻まれるようになった。
同年(二〇一〇年)のクリスマス、保釣行動委員会元主席で広報を務める柯華に筆者がこの点を質したところ、「私たちは後方に引き下がったほうがいいのかもしれない」と役割の変化を示唆していた。
今回、香港当局の制止を振り切って外洋に出ることができたのは、中国が容認したからだといわれているが、中国はこれまで国内の反日の動きをむしろ抑え込んできた。
親中派財界人・梁振英行政長官の就任や、その生みの親の親中派財界人・劉夢熊氏が、北京政府とは相いれない保釣行動委員会に対しても有力なタニマチであったことが関係ありそうだ。
梁振英行政長官は活動家逮捕について隈丸優次・在香港日本国総領事に厳重抗議するなど、外交を制限された「一国家二制度」下の香港ではこれまでになかった踏み込んだ対応をしている。
さらに、石原都知事の“尖閣お買い上げ計画”に強い不快感を持つ中国当局との情意投合もあるだろう。
こうした偶然の重なりが、役割を終えたはずの保釣行動委員会に絶好の大活躍の舞台を与えた。
八月一六日朝、手錠をかけられ那覇港に連行された阿牛は、タラップで「打倒日本軍国主義」(鳳凰衛星テレビ字幕)と叫んだ。
一九日には、“領土ナショナリズム”を煽るかのようにタカ派の「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の一〇人が尖閣諸島に上陸した。
一方で香港活動家上陸に呼応した反日デモは、中国国内はおろか米国やカナダでも起きている。なぜなら中華世界の人々にとって尖閣はただの領土問題ではなく「抗戦八年」(中国の抗日戦争)、「三年八カ月」(香港での日本軍政)の記憶と重なる歴史問題だからだ。
(和仁廉夫・ジャーナリスト、8月24日号)
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