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ドイツで旧植民地への「記憶と清算」の催し――黙殺され続ける法的責任
2012年10月25日5:29PM
一九〇四~〇八年にかけてドイツ領南西アフリカ(現ナミビア共和国)で植民地政府の暴政に対し蜂起したヘレロ族とナマ族が虐殺された。両族合わせて八〇%に近い人々が命を落としたといわれるが、虐殺命令が出されたのが一九〇四年一〇月二日とされており、この日を迎えるとドイツの首都ベルリンでも「記憶と清算」をめぐる催しが市民により開かれてきた。
テーマのひとつが「通りの改名」。一九世紀末から一九三〇年代にかけてベルリン市内の一部をアフリカ地区とし、植民地支配の中心的役割を果たしたドイツ人や植民地の名前を次々と通りの名にした。昨年五月ベルリン・ミッテ区議会は同地区をポストコロニアルな観点から「学びと記憶の場」とすると決定したにもかかわらず、通りの改名には触れていないことからアフリカ系市民とその支持者たちから抗議の声が上がっている。
また遺骨の返還問題も浮上している。虐殺されたヘレロやナマの頭部数千体分が優生学等の資料としてドイツに送られたが、ベルリンのシャリテ病院が昨年二〇個の頭蓋骨を一世紀ぶりに初めてナミビアに返還した。ちなみに当時確立された優生学理論は後のナチスの人種差別政策の一根拠とされ、民族浄化等へとつながっていく。
「植民地支配に対する謝罪と賠償が進まないのはアフリカに対する根本的差別意識が原因」とイスラエル・カウナティケ氏(ヘレロ、ベルリン在住)は語る。氏らの尽力により今年三月、ドイツ連邦議会で責任を問う動議が提出されたが、与党の反対で否決となった。
政府は謝罪と賠償を棚上げし、あくまで「経済援助」に固執、責任回避を続けている。ドイツがナチスの過去克服のため時間と労力を費やしてきたことは国際社会の中でも認知されているが、植民地支配の清算に話が及ぶと消極的な態度に転じ、戦後の経験をこの分野で生かしているとは言えない。
(矢嶋宰・フォトジャーナリスト、10月12日号)