水俣病の認定をめぐる裁判――矛盾する二重基準
2013年4月12日4:40PM
水俣病の認定をめぐり未認定患者の遺族と熊本県が争っている二件の上告審が三月一五日、最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で開かれた。二件とも四月一六日に判決が出される。
四肢末端の感覚障がいがあれば水俣病と認めると判断した、二〇〇五年の「関西訴訟最高裁判決」による認定と、公害健康被害補償法に沿って四つの症状を持つ患者だけを認定する環境省の「(昭和)五二年(一九七七年)判断条件」の二重基準の矛盾が、どう判断されるかが注目される。
「関西訴訟最高裁判決」で水俣病と認定され原告だったFさんは、熊本県に行政認定を求めたが、申請を棄却され、認定を求めている。Fさんは今年三月三日に死亡し、裁判は遺族が承継している。
一方、水俣病未認定患者だった溝口チエさんは、七四年に認定申請を熊本県に行なったが、水俣病罹患を証明する「公的資料がない」ことを理由に二一年後に棄却された。溝口さんの遺族による行政不服審査請求で、認定を行なうべき県が、死後一七年も病院への調査をせず、カルテが破棄されていたとわかった。〇一年に認定を認めるよう熊本地裁に提訴。〇八年に熊本地裁では敗訴、一二年に福岡高裁で勝訴し、県が上告していた。
口頭弁論後に弁護団は会見で「関西訴訟の最高裁判決は、行政の責任を認めて、『五二年判断条件』は不当とした。しかし、環境省はその後も判断条件を見直さず二重基準になっている」(田中泰雄弁護士)と問題の所在を提起した。
Fさんの弁護団は、一一年六月にFさんを水俣病と診断した佐藤猛医師(神経内科)の症例記録とともに、同医師が環境省の要請で行政の判定が妥当だったと証言するよう要請されて断り、証人要請が立ち消えになった経緯を記した申立てを今年二月二六日に最高裁に補充提出。医師の良心が判決にどう反映されるかも注目される。
(まさのあつこ・ジャーナリスト、3月29日号)