無意味な「集団的自衛権行使」__無理に解釈改憲しても米国は喜ばず(田岡俊次)
2013年9月25日5:38PM
安倍首相は八月八日、元外務省国際法局長、前駐仏大使の小松一郎氏を内閣法制局長官に任命するという異例の人事を行なった。国際法は知っていても、法制局の経験皆無の人物を長官に据えたのは、何としてでも「集団的自衛権行使」を認めるように憲法解釈を改めたい、という首相の執念の表れだろうが、それが日米関係の強化に役立つとは思えない。
「集団的自衛権はあるが行使はできない、というのがおかしい」と右傾メディアや政治家は言ってきたが、実は日本は六〇年以上それを行使してきた。一九五一年に結ばれた日米安保条約(旧安保)の前文は、「国連憲章はすべての国が個別的及び集団的自衛権の固有の権利を有することを承認している。これらの権利の行使として」、日本が米国の駐留を認めることを明記している。同盟条約を結んで、外国軍に基地を貸すこと自体が集団的自衛権の行使だが、法制局は「自衛権は国際紛争解決の手段としての武力行使はしないから合憲」との論理を補強するため「集団的自衛権行使」を「海外での武力行使」と狭く解釈して使ってきた。
「小松法制局」が集団的自衛権行使容認の憲法解釈をしても、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」との憲法九条の条文がある。ほぼ同じ規定は自民党の改正憲法草案にも、国連憲章、対日講和条約、日米安保条約にもあり、イラク戦争のような戦争に協力は本来できないはずだ。
集団的自衛権で日本が共同防衛行動を取れるのは同盟国である米国、または自国の安全保障上密接な関係がある国(韓国)が攻撃を受け、自衛への協力を求めてきた場合だが、米国は第二次大戦以降、自衛戦争はしたことがない。韓国も通常戦力では北に対し圧倒的優位を保つし、日本に対する反感も強く、派兵を求めることはまずありえない。将来可能性があるのは、米軍艦が世界のどこかで攻撃を受けた場合、「軍艦は領土と同然。米国は自衛行動を取る」と、日本に共同行動を求める場合だ。
だが、米国のベトナム本格参戦の契機となったトンキン湾事件(一九六四年八月二日と四日)は、米駆逐艦が南ベトナム工作員の潜入を援護するため二日に北ベトナム沖で行動中、北ベトナム魚雷艇と交戦したもので、四日の「北ベトナム海軍の攻撃」は全くの捏造だった。米国の主張を鵜呑みには危うい。
首相は「米国の厄介者」?
いま論じられる集団的自衛権行使の四類型の1は、「公海上で行動中の米軍艦の防護」だが、その場合に海上・航空自衛隊が米軍艦を守る目的が日本の防衛ならば、個別的自衛権の発動だろう。類型の2は「米国に向うと見られる弾道ミサイルの迎撃」だが、北朝鮮から米国西岸に向かうミサイルはロシア沿海州上空からカムチャッカ半島上空を通過し、米国東岸へはほぼ真北に飛び北極圏を経由する。日本のイージス艦がロシア上空のミサイルを迎撃するのはほぼ不可能だ。グアム、ハワイを攻撃するなら日本上空を通るが、それと引き換えに北朝鮮は米国の報復攻撃で滅亡するから、抑止は十分効いている。類型の3、4はPKOでの武器使用規制の緩和、広範な後方活動だが、これは本来集団的自衛権とは別の話だ。自民党の改正憲法草案では、国防軍が「国連等の」とか「国際的な」活動ができるとし、国連と無関係な多国籍軍への参加を狙っている。
だが米軍は二〇一一年末にイラク撤退を完了、今年六月にアフガニスタンの治安権限も地元に委ねて撤退を急ぐ。イラク戦争批判で成立したオバマ政権にとって、失敗した前ブッシュ政権の要請にいまどき日本が応じると言っても、苦い思いだろう。二月の安倍首相の訪米前、米側が「集団的自衛権は議題にしない」と通告し、会談後の共同記者会見も行なわず、六月の北アイルランドのG8サミットでの日米首脳会談も拒否した。米国の国家目標は「共産圏封じ込め」から「テロとの戦い」を経て、「財政再建、輸出倍増」となった。安倍氏は、「米国の厄介者」の地位を固めようとするかに見える。
(田岡俊次、8月30日号)