福島で「子ども・被災者支援法」全国集会――原発事故被害者の権利を守れ
2013年10月8日10:37AM
このまま被災者支援法が骨抜きにされるのは許されない――。原発事故がいまだ収束の見通しさえ立たない中、福島県文化センター(福島市)で九月二一日、「原発事故被害者の救済を求める全国集会 in 福島」(主催・原発被害者の救済を求める全国運動実行委員会)が開催された。
集会には、全国から約五〇〇人が参加。福島県の内外から、避難者、在住者、帰還者などさまざまな立場の被害当事者が、「原発事故子ども・被災者支援法」の幅広い適用と、被災者の声が反映された基本方針案の策定を訴えた。
【骨抜きにされる「支援法」】
昨年六月に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」は、「放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分解明されていない」(第一条)ことに鑑みて、「居住」「避難」「帰還」の選択を被災者が自らの意思で行なうことができるよう、国が、医療の支援、移動の支援、移動先における住宅の確保、学習支援、就業支援、保養などの支援を行なうこととなっている。
「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」の福田健治弁護士は、「法の成立から一年三カ月もたって、ようやく復興庁が基本方針案を発表したが、法律の目的や理念から大きく逸脱したもの。被災者や支援者の声が反映されていない。支援対象地域は狭すぎる」と批判した。
法では支援対象地域を「一定の基準以上の地域」としており、被災者や支援者たちは少なくとも追加線量年一ミリシーベルト(mSv)以上の地域をすべて支援対象地域にすることを求めてきたが、基本方針案は「一定の基準」については定めず、あいまいにしている。日本弁護士連合会の海渡雄一弁護士は「国際基準でも国内法令でも公衆の被曝限度は一mSv。これは国が社会にした約束ごと」とした。
いわき市在住の千葉由美さんは、「避難する権利は認められず、残った人たちにとっても、保養などの対策を求めても、認めてもらえない」と訴えた。
郡山市から静岡県富士宮市に避難した長谷川克己さんは、職を捨て、つながりを捨て、ふるさとを捨てた。郡山市役所でも富士宮市役所でも、「賠償はもらえませんよ」と言われたという。「私たちは“勝手に離れた人たち”でした」。被災者の選択する権利を認めた「子ども・被災者支援法」の実施は、長谷川さんにとっては、自らの権利を取り戻す第一歩となる。
伊達市小国地区では、空間線量が高い状況が続き、世帯の一部が、「特定避難勧奨地点」に指定された。道一本を隔てて、賠償を受けられる住民とそうではない住民が分断された。住民たちは、世帯ごとではなく「地区指定」を求めて政府に交渉したが、無視された。
菅野美成子さんは、自らは指定の対象になったが、昨年の一二月、説明会も開かれずに解除され、その三カ月後には賠償も打切りになった。「指定の時も一方的だったが、解除の時も一方的だった」と菅野さんは憤る。
復興庁は「分断を生まないために、支援対象地域の線量基準を決めない」としたが、住民を無視して根拠のない線引きをすること自体が分断を生み出してきたという教訓は活かされないままだ。
【「三年時効」問題】
集会のもう一つのテーマは、多岐にわたる原発被害の損害賠償請求権が、民法上、三年以内に行使しなければ時効によって消滅してしまう恐れがあるという点だ。日弁連の的場美友紀弁護士は「現在、東電から仮払い金などによる債務の存在が認められている被害者の対象は狭く、このままでは、大多数の被害者の損害賠償債権が消えてしまう恐れがある」とし、「抜本的な解決を行なうための立法措置が必要」と指摘した。
同実行委員会では今後、(1)支援法の幅広い適用と具体的施策の実施、(2)原発被害の損害賠償請求権の時効問題の抜本的解決――を求めた国会請願署名を行ない、秋の臨時国会での提出を目指す計画だ。
(満田夏花・FoE Japan理事、9月27日号)