狭山事件の再審を求めて市民3000人が集会――客観的証拠と情報の開示を!
2014年6月10日6:42PM
「袴田さんの再審開始に続け!」
5月23日、東京都内の日比谷野外音楽堂で行なわれた「狭山事件の再審を求める市民集会」(主催 狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会)で、声高に叫ぶ声が方々で聞かれた。この日の東京は20度。全国各地から集まった3000人は汗を拭いながら、壇上に現れた石川一雄氏らの演説に耳を傾けた。
狭山事件は1963年5月1日、埼玉県狭山市でおきた女子高生殺害事件である。逮捕された石川一雄氏(当時24歳)が被差別部落出身者だったこと、警察が当初から捜査を被差別部落に集中させていたことなどから部落差別との関わりが指摘されている。本件については一審で死刑判決、二審で無期懲役判決が確定。1994年、31年7カ月ぶりに仮出獄した石川氏は現在も仮釈放中だ。
06年5月より第三次再審請求を開始。09年9月からは裁判所、検察官、弁護団による三者協議が始まり少しずつ証拠開示が進んでいる。10年5月には、検察側から弁護側に、石川氏が逮捕当日警察署長宛てに書いた上申書――「わたしはやっていません」といった内容――や、取調べ中の録音テープなど36点の重要な新証拠が開示された。検察官は、現在もすべての証拠を開示していない。
集会に結集した参加者の意気込みをさらに強めたのは、袴田事件の冤罪被害者・袴田巖氏の登壇だ。
袴田事件は3月27日、再審開始決定とともに、袴田氏の即日釈放という画期的な判決が下された。再審開始決定とともに死刑囚が釈放されるのは初めて。この流れの大きな原動力となったのが検察側の証拠開示と事実調べである。
袴田事件では600点もの新証拠が開示された。その結果、写真や最新DNA鑑定などから重要証拠物は捜査官が捏造した疑いがあるという結論に至った。これは「狭山事件にとっても大きな意味がある」と、壇上の狭山弁護団事務局長・中北龍太郎氏は語気を強めた。
「証拠開示が増えるごとに石川さんの無実と有罪判決の誤りがどんどん明らかになっています」
現在までに開示された新証拠は136点。弁護団は5月7日、証拠開示された取調べ録音テープをもとに、自白の信用性を分析した心理学者の鑑定書を提出した。その中で石川氏は「自分は脅迫状を書いていない」と話しているにもかかわらず、警察は筆跡鑑定をもとに「お前が犯人だ、お前が書いたことは明らかなんだ」と執拗に追いつめ、石川氏がすべきことは書いたかどうかを認めることではなく、書いた理由を話すことだと繰り返し、自白に追いやった。5人の専門家による上申書と脅迫状の筆跡鑑定の結果は基本的な形が異なると出た。弁護団は今後、検察側に対して、証拠物の一覧表と客観的証拠の開示を弁護人に公布するよう求める方向だ。
壇上には石川夫妻、袴田氏と姉の秀子さんに続き、足利事件の菅家利和氏、布川事件の杉山卓男氏と桜井昌司氏、氷見事件の柳原浩氏が登壇した。いずれの事件も再審により冤罪が明らかとなっている。「次は狭山だ」、集まった人々の想いはその言葉に集約される。
狭山弁護団主任弁護人の中山武敏氏は、6月中旬に行なわれる第18回三者協議の焦点をこう話す。
「われわれが証拠開示を求め、裁判所からも勧告をしているが検察側からは『不見当』という回答が繰り返されています。たとえば実況見分調書の中にある、犯行現場とされている場所で撮影したと言われている8ミリフィルムなどは探したが見つからない、と。
ほかにも浦和地裁から東京高裁に控訴審になった時、浦和地検から東京高検に送られた証拠物には番号がふられていますが、それも40くらい欠番があるんです」
中山氏は、鍵は、証拠開示と事実調べと強調する。「狭山事件は74年の有罪判決から鑑定人の尋問など事実調べが一度も行なわれていない。今、冤罪事件と再審に大きな流れができている。われわれは本当に大切な段階に入った。この流れの中で従来の枠組みを越えた支援運動を大胆に訴えていきたい」と、決意を語る。
(福田優美・フリーライター、5月30日号)