イスラエルの兵器開発に日本も荷担――圧倒的な軍事力による抑圧
2014年8月18日10:51AM
民家の壁に突き刺さるフレシェット弾(矢弾)、白リン弾で焼け焦げた家屋。どんな兵器を使ったのか、サッカー場ほどもある広大な農場一面に、吹き飛ばされた家畜の屍骸。2009年1月、イスラエル軍侵攻直後のガザを訪れた私は、まるでさまざまな兵器が「試された」かのような痕跡に驚いた。
それから5年半がすぎ、ガザは再び激しい攻撃にさらされた。8月4日現在、わずか28日間の戦闘でパレスチナ人の死者は1800人を超える。
イスラエル軍も兵士64人死亡という過去にない犠牲を払ったが、2600発以上のロケット弾が撃ち込まれたにもかかわらず、市民の犠牲者は3人に留まっている。ハマースのロケット弾を約90%の命中率で撃ち落としたという防空システム、「アイアンドーム」の性能と、自国の兵器開発能力を実証する絶好の機会となった。
この兵器は、軍とイスラエルの軍事企業「ラファエル・アドバンスト・ディフェンス・システムズ」によって開発された近接用迎撃地対空ミサイルで、11年から配備された。「命中率90%」という数字は検証が必要だが、イスラエル人に聞くと「かなり撃ち落としている実感がある」という。
日本にとっても、この国の兵器開発とは無縁ではない。5月12日、安倍・ネタニヤフ両首相が、国防とサイバーセキュリティの分野での協力推進で合意。7月6日にはイスラエルを訪問した茂木敏充経済産業大臣が、両国の企業や研究機関が「共同研究・開発」を促進する覚書を締結、署名した。この「共同研究・開発」には、兵器開発が含まれない理由はない。
日本で三菱重工業がライセンス生産するパトリオット2ミサイルの部品は、「防衛装備移転三原則」により輸出可能になったが、同ミサイルはイスラエルにも配備されている。また、F-35戦闘機の開発には、日本・イスラエルともに名を連ねる。日本の軍事技術が今後、パレスチナに対して使われないという保証はどこにもない。
【破壊と抑圧の責任は?】
ガザはイスラエルにとっての「打ち出の小槌」だ。政府が外交上、または自国民に対して、自らの存在意義を示そうとするとき、その駆け引きの材料にいつもガザが使われてきた。そこでは、日本のメディアも「イスラーム原理主義組織」と呼ぶハマースが、「実効支配」を続けているからだ。
彼らを少し挑発すれば、ガザの人々を「人間の盾」としてロケット弾を撃ち込む。イスラエルは、それで市民が巻き込まれても、「原理主義組織」を選んだお前たちのせいだ、と言わんばかりだ。
日本政府は7月25日、ガザ地区の市民に対する食料や医薬品など、550万ドルにおよぶ人道支援を決めた。大規模な破壊行為のあとには、諸外国からも緊急支援が入る。国連機関を通じて直接ガザに援助が入る場合もあるが、多くはヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府経由であり、それがガザまで届くことは多くない。
逆に援助が人を締めつけてゆくこともある。諸外国からの莫大な援助があるがゆえに、占領地に責任を負うべきイスラエルの懐は何ら痛むことなく、破壊と抑圧を続けてゆくことができる。
イスラエル軍地上部隊の大半は撤収を始めたというが、空爆による攻撃は続いている。ガザ市民の4人に1人はまだ、長い避難生活を強いられたままだ。停戦になったとしても、人々の破壊された暮らしは容易に元には戻らない。
四方を分離壁と海に囲われた狭い土地に閉じ込められて生きる、約180万人の人々。働くべき仕事もほとんどなく、ガザを出ていく自由も与えられていない。
「戦闘では人が死ぬが、停戦でも死んだように生きるしかない」。電話の向こうでガザの古い知人が言う。「毎日毎日、同じ日が続くだけだ。描ける将来の希望など、ガザのどこを探してもない」。それでも、目が覚めたらまた一日が始まる。それは容赦なく残酷な一日だ。
(藤原亮司・ジャパンプレス、8月8日号)