イスラエル軍の攻撃が続くパレスチナ自治区・ガザ――行き場を失った避難民の家族
2014年9月2日7:03PM
パレスチナ自治区・ガザ市内の西部地区の一角にあるビルの1階。かつて商店だったその場所は、今は一つの家族が暮らす“避難所”になっている。
室内は10畳ほどの部屋が二つあるだけ。奥の部屋には窓もない。猛暑の昼間、中に入ると汗が噴き出してくる。
ここに、ファウラ一家47人が暮らしている。
7月15日、イスラエル軍の激しい砲爆撃を受けたガザ市東部から徒歩で1時間以上をかけて、この地区に逃れてきた。
しかし、避難所の国連学校はすでに避難民で埋め尽くされており、一家は行き場を失った。
寝る場所がなく、女性たちは怖がって泣いた。見かねた主人が商店のスペースを提供してくれたという。とはいえ、部屋には台所もトイレもシャワー室もない。
男性たちは近くのモスクでトイレを使い、女性たちは、近所の家のトイレを借りる。
もっとも辛いのは、シャワーを浴びる水も場所もないことだ。避難生活が始まり27日が経ったが、家族全員、ほとんど入浴していないという。
一家の長であるフセイン・ファウラ(73歳)の話によれば、かつては4階建ての家に4人の息子やその家族、合わせて47人で暮らしていた。ところが、攻撃が激しくなり、全員で家を出た。
それから、3日後に戻ってみると、家は、がれきと化していた。フセインはショックを受け、その場で意識を失ったというが、無理はない。30年かけてやっとできた家だった。
国連学校と違い、“避難民”として国連から食料や水の支援を受けられない。ある組織の支援で豆類の缶詰やチーズ、パンなどをもらい、食いつないでいる。
家族47人のうち、30人近くが18歳以下の子どもだ。劣悪な環境が彼らの身体と精神に悪影響を及ぼすことを、フセインは何よりも恐れている。
パレスチナ人権センターによれば、現在、こうした避難民は50万人近くいるという。
ガザ史上最大の惨事――。
イスラエル軍の攻撃が弱まり、たとえ「戦争」が終結したとしても、家を破壊された一家に帰る場所はない。避難民の苦悩は、今後もずっと続くこととなる。
(土井敏邦・ジャーナリスト、8月22日号)