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『朝日』記事は「誤報」ではない──約650人の原発作業員の福島第二原発への退避を吉田所長は知らなかった(3)

2014年11月13日2:47PM

福島第一原子力発電所3号機(2011年3月21日、提供/東京電力)

福島第一原子力発電所3号機(2011年3月21日、提供/東京電力)

 所長の指示に違反

福島第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が約10キロ南の福島第二原発に行っていたのは報道されているとおりだ。「退避」が吉田所長の意に反していたことも吉田調書から明確に読み取ることができる。

〈本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。〉

〈私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。〉

吉田所長は調書で〈よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った〉とも答えている。だが、これは所員が福島第二に行ってしまったことを聞いた後の感想だ。つまり「追認」だ。最高指揮官が、部下がどこに行ったのかも知らなかったということを認めた発言だと言える。原発事故のさなかにこんなことがあっていいのだろうか。東電の指揮命令系統は機能していなかった。

原発訴訟に長年取り組んできた海渡雄一弁護士はこう分析する。

「650人の作業員の大半の者たち、とりわけ下請け作業員らに吉田所長の『必要な要員は残る』という指示は徹底されていませんでした。東電社員の指示に従って移動したという認識でしょうから、『朝日新聞』に〈所長命令に違反〉と書かれたことに違和感があったことは理解できます。しかし、吉田所長自身が『しようがないな』と言うように、所長の指示には明らかに反した状態になっていたのは間違いありません。
ただ、事故を引き起こした東京電力の経営幹部の法的責任は徹底的に追及しなければなりませんが、命がけで事故への対応に当たった下請けを含む原発従業員に対しては社会全体で深く感謝するべきです」

吉田調書によると、事故対策にあたる緊急対策本部の人員は約400人。高線量区域には長くとどまれないため、機器操作は多人数の作業員が交代で行なう必要があった。事故後、福島第一に取材で4回入ったジャーナリストの木野龍逸さんは次のように話す。

「福島第一と第二の間は約10キロとはいえ、地震で道がグズグズでしたから30分程度は移動にかかっていたようです。現場から所員がいなくなったのは事実。吉田調書で判明したことも多く、『朝日』の調査報道には大きな意味があった」

前出の海渡弁護士も「この時点で吉田所長の指揮下に残された約70人どころか、緊急対策本部要員の400人でも足りず、さらに作業員を追加して集中的な作業をしなければならない状況でした」と分析している。

東京電力のホームページによると、2号機については3月15日の午前7時20分から午前11時20分まで事故の収束作業に不可欠なデータを記録できておらず、1・3号機も同様だった。
(つづく、伊田浩之・編集部、2014年10月10日号)

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