「安保法案」を「合憲」とする西・百地氏が記者会見――政権迎合で論理が破綻
2015年7月6日6:01PM
集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案を「合憲」とする憲法学者の西修駒澤大学名誉教授と百地章日本大学教授が6月19日、都内で記者会見し、「集団的自衛権は国際法上の権利であり、(憲法の)平和条項と矛盾しない」と「合憲」の理由を説明した。1972年の政府見解で集団的自衛権行使を「違憲」としたことについて、西氏は「社会党(当時)の執拗な攻撃があった」と持論を展開、「集団的自衛権の行使を認めなければ主権国家ではない」と語った。
安保法案の強行採決を画策する安倍政権が頼りにする「合憲」派学者の説明が本当ならば、政府の判断によってフリーハンドの集団的自衛権行使が可能になる。内閣法制局長官は国会で「武力行使新3要件のもと、限定的な集団的自衛権行使が容認される」という答弁を繰り返しているが、野党や国民を宥めるための詭弁でしかない。
西氏らが集団的自衛権を「国際法上の権利」とする根拠は、国連憲章51条と北大西洋条約5条の「集団的自衛権」の規定にある。西氏は「国連憲章は集団的自衛権を個別的自衛権とともに、加盟各国が有する『固有の権利(自然権)』と定めている。日本国憲法は自衛権の行使を否定しておらず、集団的自衛権の行使は憲法の許容範囲だ」と説明。百地氏も「集団的自衛権は憲法に明記されていなくても行使は当然である」と述べた。
西氏によれば、集団的自衛権の目的は「抑止効果」だ。「北大西洋条約とワルシャワ条約の存在が欧州での戦争を抑止できたのは、集団的自衛権があったからだ」とする。
【「ガラパゴス系法学者」】
集団的自衛権は1945年に発効した国連憲章で初めて明文化された新しい権利だ。第二次大戦後、冷戦が激しさを増す中、集団的自衛権に基づいて北大西洋条約機構(NATO)などの国際機関が設立された。だが冷戦が終結し、NATOの存在意義は著しく低下。その結果、NATOはコソヴォ紛争での空爆を契機に、北大西洋地域以外(域外)での武力行使や戦争に突き進んでいる。
そもそもNATOは一枚岩ではなかった。フランスは1966年にNATO軍事部門から脱退している。米国が中距離ミサイルと戦術核兵器を使った地域防衛システムの展開を欧州諸国に求めたことに反発したド・ゴール将軍は「米国の核兵器を国内に受け入れるのは、それを完全に自由に使える場合だけだ」(『ル・モンド・ディプロマティーク』日本語・電子版2009年4月号)と米国の申し出を断った。フランスは個別的自衛権で冷戦をしのいでおり、集団的自衛権が「戦争の抑止力」になったという西氏の見解は破綻している。
冷戦の終結で存在意義を失ったNATOは「域外での戦争」へと活動の幅を広げ、有志連合に加わるなどした欧州各国では報復テロが相次いで起きている。ところでフランスが2009年にNATOに完全復帰した背景には、米国に完敗してしまった欧州兵器産業の立て直しという狙いがある。経済力に期待して日本のNATO加盟を求める声さえ出はじめている。
将来、自衛隊が「域外での戦争」に参加した場合、「戦死」者が出るだけでなく、日本人が国内外でテロの標的になる恐れがある。記者会見で西氏は「(法案の)本質を説明すれば国民の理解は得られる」と語った。中国の脅威が増大し、国の安全、国民の生命が脅かされているというのだ。だが安保法制の本質がホルムズ海峡や中東など遠い異国での戦争にあるとしたら、西氏の見解は政権に迎合するだけの自己欺瞞でしかない。
安保法制自体が国民に犠牲を強いるだけでなく、日本の軍需産業を世界の武器市場へと華々しく押し出していくことは目に見えている。原発の海外輸出、バイオテクノロジーの研究・開発とともに、安保法制に勢いを得た武器輸出がアベノミクス経済成長戦略の柱の一つになっているという現実を、「ガラホー(ガラパゴス系法学者)」の方々は見落としている。
(土田修・ル・モンド・ディプロマティーク日本語版の会 共同代表/『東京新聞』編集委員、6月26日号)